ファウストと永遠にして女性的なるもの
FM「ブラボー!オーケストラ」4月分2本の収録にNHK608スタジオへ。
4月5日(日)放送分は、リスト「ファウスト交響曲」から前半の第1楽章「ファウスト」、第2楽章「グレートヒェン」。
4月12日(日)放送分は、同曲第3楽章「メフィストフェレス/神秘の合唱」。およびビゼー「交響曲第1番ハ長調」。
演奏は、プレトニョフ指揮東京フィル、Tn独唱:イルカー・アルカユーリック、男声合唱:新国立劇場合唱団。2019年10月17日第128回オペラシティ定期より。
ゲーテの「ファウスト」を高校生の頃初めて読んだ時、悪魔と契約してまで「若さ」を得ようとするファウスト博士の気持ちがいまいちよく分からなかった。自分自身が文字通り「若かった」からだ。
しかし、50歳を過ぎると何となく実感として分かるようになり、さらに60歳を過ぎると切実な思いとして分かるようになった(笑)。今なら、もう一度若返って悪魔の助手付きで何でも好き勝手出来るというなら、魂の3つや4つ熨斗を付けて呉れてやってもいいと思う。
ただし、音楽はもういい(笑)。ファウスト譚のレベルで望みが叶うなら、身長100mほどの怪獣になって火を吐きながら東京を歩いてみたい…とか、100万馬力のロボットになって街を壊しながら空を飛んでみたい…とか、そのほかちょっと人には言えない(悪魔にしか言えない)ような壮大?な夢を叶えてみたい。
ちなみに、音楽も「望みを叶えてくれる」という点では悪魔のような処があるが、所詮、現実には出来ない「本当にやりたいこと」の代償行為でしかない。いや、確かに素晴らしいのだ。何しろうっかり一生を賭けてしまったほどなのだから。けれど「創造しているような気分」や「破壊しているような気分」になる幻術にすぎない。気が付くと何処にも実体はない。時は止まり、美しさは泡のように消え、そして魂は悪魔の懐の中なのだ。
それにしても…、もし倫理も理性も全て超越した「本当にやりたいこと」を本当にやっていいとしたら、それは何だろう?としみじみ考える。それをやってしまってもなお「永遠にして女性的なるもの」は魂を救済してくれるのだろうか。
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