人間とAIと音楽と
最近、若い人に「音楽の未来」について聞かれ、「人間が人間に希望を持ち続ける限り音楽は存在し続けると思いますよ」と大人の対応をしたのだが、そのあとでうっかり「でも、ぼくは今ちょっと失望しかけてるんですけどね」と漏らしてしまった。ちょっと反省している(笑
人類の祖先が十数万年前アフリカを出て世界中に大いなる旅をする過程(何万年前にアジアの何処に到達し・何万年前に南米の何処に到達…というような)は結構細かく分かるらしい。その理由はシンプルで…人類が到達するとその地域の生物の大量絶滅が起こるからなのだそうだ。
つまるところ人類の最大の資質というのは、二足歩行し両手を扱えるようになったことで「暴力と殺戮」というスキルを得、知能を持ったことで「虚構や妄想(宗教や国家)」を共有するようになったこと…に尽きるらしい。若い人向けにはもう少しオブラートに包んだ表現にした方がいいような気もするが、あれから十万年ほど経ったはずの現代でも思い当たることが多すぎて怖い。
AI(人工知能)にそんな人類の歴史をみっちり学習させたところ「人類は絶滅させた方がいい」と言い出したので慌てて電源を切った…という話(SFでも定番だが、どこまで本当かは不明)があるが、私がAIでも同じ結論に達する気がする。その結果、未知のウィルスを撒いて、それに効くワクチンと称して全人類に微毒をうたせ、繁殖を抑止させ絶滅に導く…という陰謀がどこかで進行しているのかも知れない(笑
それでも「音楽」だけは人類の生み落とした美しい存在(かつ非暴力の象徴)だと思ってきた。しかし、これも基本は他者の心を組み伏せる暴力(そして武器)のひとつと言えなくもないことに最近ふと気付いてしまった。いや、今さらそんなことに気付いてももう手遅れなのだけれど。
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