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とある原稿でうっかり数字がらみのネタ(音列)に触れたため、数十年ぶりに数式をこねくり回すことになった。
一応、工学部出ではあるのだが未だに数字(特に音とお金の計算)は苦手である。
高校の頃、日本史の先生が「超」の付く古代史マニアで、先史時代から飛鳥・奈良時代に寄せる持論をずいぶん聞かされた。その影響で大学の頃まではちょくちょく行っていたのだが…それ以来だから、50年ぶりくらいだろうか。
なんとか天皇陵と呼ばれているものも「宮内庁がそう言っているだけ」と全く信じていなかった先生は、戦争が終わったとき「これで天皇陵を発掘できる!」と狂喜乱舞したそうだが、それは叶わず。「戦争に負けても開けられないのか!」と(戦争で負けたことより)悔しがっていたのを思い出す。
確かに、この地域この時代のものは石舞台にしろ酒船石にしろ前方後円墳にしろ(存在は誰でも知っているものの)「それが何なのか本当の処はよく分からない」ものばかり。墳墓の中をちゃんと発掘調査したら日本史も世界史も変わりそうな代物がゴロゴロしている筈だが、誰も手を出せない不思議な異空間でもある。
それにしても奈良は鹿が多い。
映画「チロンヌプカムイ/イオマンテ」鑑賞。監督:北村皆雄。@ポレポレ東中野。
1986年に行われた75年ぶりのアイヌの祭祀イオマンテ(霊送り)を記録した映画。通常「イオマンテ」はクマ(キムンカムイ)の魂を天界(カムイモシリ)に送る儀式だが、これはキタキツネ(チロンヌプ)で行われた儀式の貴重な記録。
アイヌの古老・日川善次郎エカシを中心に、打合せや前夜祭から本祭・そこに至る様々な儀式や各地のアイヌによる歌や踊り・それを見るキタキツネの眼差し・古老による儀礼のことば(全て克明に記録され和訳されている)。誰かに見せるためではなく、純粋に神(カムイ)に向けて行われる厳粛な…そしてもはや再現不可能な古の祭祀。バレエ〈春の祭典〉を思い起こさせる不思議な世界が広がる。
何も知らずに外面だけ見ると「子供の頃から可愛がって育てた動物を寄ってたかって嬲り殺す儀式…」なのだが、アイヌ独特の世界観・自然観に基づいた(神への畏敬と自然への愛を込めた)行為を諄々と描いてゆく映像を見ていると、「魂を天界に送る」ということが静かに胸に染み始める。現代でも「飼っていたペットは死んだあと虹の橋を渡って、そこで飼い主との再会を待っている」という神話があるが(私もしっかり信じている)それに通じるものを感じる。
撮影後35年間埋もれていたという地味な映画だが、最近アイヌを主題にしたコミックス「ゴールデンカムイ(作:野田サトル)」で話題になったせいか(全314話・単行本で31冊!という大長編。先日ようやく完結し、私もそれを期に全話完読した)、アイヌ文化に興味を持ち始める若い人が増えているようで嬉しい。
私も個人的にデビュー時から…「チカプ(鳥)」「カムイチカプ(神の鳥)交響曲」「リムセ(踊り)」など…アイヌ文化に因んだ作品を幾つか書いてきたが、元々は「朱鷺」と並ぶ希少種である「シマフクロウ」に興味を持ったのがきっかけ。シベリウス師の地である北欧フィンランドと同じ北の大地と森と湖の香りがすることと、もうひとりの師匠(松村禎三師)の師匠である伊福部昭氏(釧路生まれで幼少時に音更町でアイヌ文化に深く接し、後に〈タプカーラ交響曲〉などを書いている)の間接的な影響もあるのかも知れない。
いくつかの曲の中で「ホホホホホーイ」と歌うように叫ぶ不思議なモチーフを使っているのだが、これはイオマンテなどで霊を送るときの合図・掛け声のようなもの(オココクセというらしい)。むかし記録映画を見て印象に残ったので引用したのだが、この映画でも(儀式のクライマックスなどで)何度か確認できたのが収獲だった。