レコード芸術7月号の「レコード誕生物語」で須川展也氏と拙作「サイバーバード協奏曲」の最初の録音セッションの話が取り上げられていて、遙か昔の記憶が蘇ることになった。
録音は1996年の4月。もう24年も前になる。91年に須川展也氏の最初の委嘱作品として書いた「ファジーバードソナタ」がコンサート&CD共々好評で、続いて94年に書いた「サイバーバード協奏曲」もCD録音しましょう!ということになり、なんとあの(ビートルズを始め数々の名盤を生み落とした)アビーロードスタジオでフィルハーモニア管弦楽団の演奏により録音する…という夢のような話がぱたぱたと進んでいった。
ロンドン行きの一行は、須川展也氏(サックス)、小柳美奈子さん(ピアノ)、ディレクターの磯田健一郎氏、山口多嘉子さん(パーカッション)、私(作曲者)、 そして東芝EMIのプロデューサー佐藤浩士氏、録音エンジニアの小貝俊一氏。指揮はロンドン在住で現代オペラなども得意とするデイヴィッド・パリー氏。
4月3日に成田を発ってブリュッセル経由でロンドンへ(私自身は、前年95年にCHANDOSの最初の録音セッションでマンチェスターに行っているので、訪英は2度目)。ホテルはリージェンツパークのすぐ横で、近くにはシャーロックホームズでお馴染みのベイカー街があり、夜は「ニンジン」という怪しげな和食屋に通ったり、昼は公園を散歩したりベイカー街221Bに入り浸ったり、もちろんアビーロードスタジオ前の横断歩道を4人で並んで歩いたり。
録音は4月6日/7日の2日間。前日にスタジオの下見のあと指揮者宅でリハーサル。当日は最初にマイクテストを兼ねてサイバーバードのリハーサルを行い、そのあと1日目にドビュッシーとイベール、2日目にサイバーバードとグラズノフ作品を次々にリハーサル&本番録音して全4曲の録音終了。指揮の広上淳一さんが覗きに来て中華街での打ち上げに合流し、ディレクターの磯田氏と酔っ払ってゴジラはじめ怪獣映画のテーマを大声で合唱し始めた記憶が…
飛行機が苦手で長らく海外には行っていなかったのだが、帰国した翌5月には、拙作「鳥たちの時代」の日本フィル/ヨーロッパ公演(指揮:広上淳一氏)に立ち会いにウィーンへ行くことになり、さらに98年からはBBCフィルとの本格的なCD録音セッションが始まり毎年渡英する契約に。もはや「飛行機嫌い」と言っておられなくなり宗旨替えを余儀なくされたきっかけともなった貴重な旅だった。(イラストは帰国後描いたスタッフ一同の似顔絵。右下端は熱演のあまり壊れてしまった須川氏のベルト)
街行く人の殆どがマスク着用、集会やコンサートから催し物の類まで自粛…という戒厳令?下だが、雷門〜仲見世あたりは(天気がいいこともあって)一見相変わらずの賑わい。
ただし、ちょっと道を入ると閑散とした感じは否めず、飲食店などはお客の少なさに困惑している様子。そもそもマスクしながらでは食べ歩きは出来ないわけだし。
人が少ないのは一人歩きにとってはありがたいが、さすがにマスクを着用して歩いていると息苦しく、ダースベイダーにでもなった気分。時々、川べりや公園などでマスクを外して酸素補給をする。
夕方、国際通りの路地裏に佐渡の酒と肴というお店を見つけてふらっと入ってみた。佐渡はむかし「朱鷺」がらみで何度も行った懐かしい場所でもあり、早めの時間でほかにお客さんもいなかったのでカウンター越しに美人の女将さん(もちろん佐渡出身)としばし佐渡の話に興じる。
最初に行ったのは学生の頃(50年近く前。日本産の最後の朱鷺が居た頃)。そのあと〈朱鷺によせる哀歌〉を書いた縁で朱鷺の保護に関わった高野高治氏・佐藤春雄氏のお話を聞きに行き、新しく出来た朱鷺保護センター(所長:近辻宏帰氏)を訪問している。
そのほかにも、佐渡で結成された鬼太鼓座がらみで訪れたり、両津で偶然読んだ「佐渡殺人事件」に出て来る外海府(海沿いの小さな集落や海府大橋、賽の河原)を回ったり、NYから来たモダンバレエのダンサー氏らと真野や相川を旅したり、と色々な記憶が「北雪」(佐渡の地酒)と共に蘇る。
昨年末(12/29)にテレビ大阪で放送された「ちょこっと京都に住んでみた」が面白くて、TVerで配信されていたのを年末年始に7~8回ほど繰り返し見てしまう。
NHKの「京都人の密かな愉しみ」シリーズに似た京都紹介番組だが、こちらは庶民視点で下町風情の京都の暮らしを疑似体験するお話。京都の町屋に住む老叔父(近藤正臣)の処へ東京の姪(木村文乃)が転がり込んできて、ほんの数日の間、買い物やお使いに京都の町を自転車で回り、また再び帰って行くだけの物語である。
北野商店街(北野天満宮の南)近くの町屋に住んでいるという設定で、買い物に行くのも近所のごく普通の魚屋・豆腐屋・七味唐辛子屋・和菓子屋・天ぷら屋・喫茶店・古本屋・立ち飲み屋など。大昔の平安京時代の京都の中心…千本通りの近くでいい雰囲気の地域ながら、観光ガイドに登場するような有名どころや高級店&オシャレなお店はまったく出て来ず、登場するのは二人の役者以外(おそらく)すべて現地の人たち…という徹底した庶民指向が潔い。
昔から、京都の普通の家に住んで・近くの店で豆腐とか油揚とか総菜を買って食べ・神社で汲んだ水で珈琲入れて・夜は木屋町で一杯…というような隠居生活をしてみたいと夢見ていた(ご先祖様は江戸後期170年ほど前の京都で数年間やったことがあるらしい)のだが、この話の大叔父(70歳くらいの設定か)はまさにドンピシャ。
根っからの自由人らしく「(美味しいとか寒いとか)当たり前のことをいちいち言わんでよろし」と「(色々持論は言うが、最後は…)知らんけど」が口癖で、独身・無職ながら、古い町屋に一人で住み、鯖寿司や鰻などちょっと値の張る物も時々食べ、欠けた杯に金継ぎをして愛用するくらいなので、お金に困っている風は全くない。実は作家か何かで印税生活なのかも知れない。
嗚呼、こういう爺になりたかった(笑。今度生まれ変わるときはそうしよう。
生まれた時から渋谷人だが、最近は人が多過ぎて中心部(渋谷駅やスクランブル交差点のあるあたり)には近寄らなくなった。ところが、ここ一月ほどで新しい施設が次々開業となり、気が付くとビルだらけの街に生まれ変わっていてちょっと驚いた。
そもそもの始まりは2012年に建った渋谷ヒカリエ(34階。旧東急文化会館)。その後延々と駅や線路の移設大工事が続き、昨2018年夏には渋谷ストリーム(35階。旧南街区)が完成。そして今年11月始めに駅の上にスクランブルスクエアなる47階建てのビルがドンとそそり立ち、続いて公園通りに20階建ての渋谷パルコ、今日は昔懐かし東急プラザの跡地に地上18階/地下3階の渋谷フクラスがそれぞれ開業。「あれは何というビルですか?」と観光客に聞かれても、60年以上渋谷に住んでいる地元民が答えられない大変化である(笑
←ちなみにこちらの地図は30年ほど前(1987年)、まさに渋谷我が町として闊歩していた頃のもの。高校の帰りには必ず東急プラザ上のコタニでレコードをあさり、道玄坂のヤマハで楽譜をあさり、大盛堂で本をあさっていた…のだが、気が付くともう全て存在しなくなってしまった。
おかげで、今の渋谷の街を歩くと、道や地形は同じなのに、そこにあるはずの建物がまったく違う…というまるでパラレルワールドに迷い込んだような…そんな気分になる。
もともと「渋谷」という位なので、渋谷川と宇田川の「谷底」にあたる(ビルの3-4階ほどの落差のある)どん底とでもいうべき場所。昔このあたりに居た渋谷何とか左衛門という盗賊の名前から取った…と子供の頃は聞かされていたが、いやいや盗賊を捕らえた武士の名前だ…という人も居て、諸説あるらしい。此処は是非、街が生まれ変わったのを機に、ハチ公像の横に〈盗賊渋谷なにがしの像〉も建てて欲しい(笑
〈風と緑の楽都音楽祭2019〉の「左手のピアニストの祭典」に立ち会うため北陸新幹線で金沢へ。
音楽祭自体は5月の3-4-5日を中心に百以上のコンサート/イベントで構成されているが、その中の一つ「左手のピアニストの祭典」は、昨年11月に行われ私も審査員の一人を務めた「公開オーディション」の最優秀賞2人が演奏するコンサート。演奏曲は・・・
・エスカンデ〈アンティポダス〉より(p:月足さおり)
・吉松隆:左手のためのピアノ協奏曲〈ケフェウス・ノート〉より(p:瀬川泰代)
・ノルドグレン:〈小泉八雲の怪談~死体にまたがった男〉(p:舘野泉)。小松長生指揮オーケストラ・アンサンブル金沢@金沢県立音楽堂。
左手のためのピアノ協奏曲ばかり3曲…というのも珍しいが、左手のピアニスト3人の競演というのも珍しい。しかも、片手での演奏を始めた時期も原因も三者三様(月足さおりさんは生まれつきの脊髄の病気から、瀬川泰代さんはピアニストを目指す学生時代に発症した局所性ジストニア:神経系の運動障害から、舘野泉さんは六十代になっての脳溢血による半身麻痺から)。これは、運動機能と神経/脳そして演奏法や音楽性との関係を医学的(かつ音楽的)に研究する人にはかなり興味深い音楽会だったのではなかろうか(などと、むかしむかし一度は医者を目指した身としては考えてしまう)。そこには音楽を手にした人間の「生命力の強さ」を感じさせる美しい時間が流れていた。
天気も良く、街中が音楽に満ち溢れているような素敵な時間を堪能させて貰ったが、残念ながら(ほんの一時間だけ、近江町市場から金沢城公園まで散策したあと)一身上の都合で日帰り。連休真っ只中の行楽日和の一日とあってどこもかしこも人で溢れていて、ヨーロッパまで往復したかと思うほどくたびれた(笑