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  • らららクラシック(NHK-Eテレ)フォーレ「レクイエム」回ゲスト出演。放送・3月22日(金)21:30~22:00/再放送・03月28日(木)10:25-10:55。
  • 音楽館
    作品視聴…映像付き
  • 楽譜出版《ASKS.orchestra》交響曲,協奏曲,室内楽などのスコアを電子版(PDF)で販売中。海外向け→**
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  • 《図解クラシック音楽大事典》(学研)イラストとまんがでオーケストラや楽典から音楽史までを紹介する掟破りの入門書。旧〈音楽大事典〉の超大幅改訂復刻版。
    作曲は鳥のごとく》(春秋社)自らの作曲家生活を綴った独学の音楽史@2013年3月刊
    《調性で読み解くクラシック》(ヤマハ)調性および音楽の謎を楽理・楽器・科学・歴史から読み解く文庫版入門書。
  • ブラボー!オーケストラ
    ・NHK-FM 毎週日曜日19:20~20:20放送。毎月第1-2日曜日(+α)東京枠解説担当。
    ・01月06日/13日
    ・02月03日/10日

2019年1月27日 (日)

音楽の(無駄な)考古学

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J.ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」やハラリ「サピエンス全史」などに書かれた有史以前の人類の文化の考察は、何度読んでもわくわくするのだが、そこにどういう「音楽」があったのか、は残念ながら全く記述がない。

それは当然な話で、リズムや歌は化石や遺物として発掘されたりしないからだ。考古学的に確認できるのは、明らかに「楽器」として使われたと分かる骨の笛や琴などだが、それは(ごく一部の例外を除いて)最も古いモノでも紀元前六千年ほど前。その後、紀元前三千年ほど前(いわゆる古代文明の時代)には世界各地で普通に「音楽」が演奏され研究されていたことが絵や文字の情報で確認されているそうなのだが(ただし、録音などあるはずもないので「音」の情報は無い)、さて、それ以前にどういう音楽が/どういう経緯で/どんな伝播の仕方をしていたのかは、サッパリ分からない。

ただ、一万数千年前頃には人類は牧畜や農耕を始めている…ということは、複数の人間が一緒になって作業をするための労働歌とか収獲の踊りらしきもの(えんやか…でも、どっこい…でもいいのだが)があったのは確実だろうし、それ以前にも、集団で狩りや戦さをするにあたって行軍のリズムや攻撃の合図や戦勝を祈る歌などが全くなかったとは思えない。

さらに昔、数万年前にアフリカから出てユーラシア大陸を横断し南北アメリカ大陸にまで辿り着いた祖先たちが、ただ黙々と何の音も立てずに数千数万キロの荒野を歩いた…と考える方が無理がある。そこには何かお互いの存在と意志を確認しあうようなリズムや歌(ほいほ〜い…でも、ひゅーひゅー…でもいいのだが)があったと考える方が自然だ。

…のだが、この話は永遠に「想像」の域から出られない。なぜなら、最初にも書いたようにリズムや歌が物証として発掘されることは100%ないからだ。というわけで、考えるだけ無駄と言えば無駄なのだが…。タイムマシンがあったら一万年前にテレコを持って行って彼らの歌を聴いてみたい。こればっかりは「夢」で終わるしかないのだけれど。

2019年1月26日 (土)

AI は音楽の夢を見るか

Picturek_2最近、音楽ではなく「音楽が生まれる以前」の夢をよく見る。

…とは言っても、中世/ルネサンスとか万葉/平安の昔の音楽とかでなく、人類がホモサピエンスになるより前、二足歩行を始めて何かを両手で叩いた瞬間(リズムの誕生)とか、唇と喉とを動かして歌とも言葉とも知れない声を発した瞬間(メロディの誕生)とか…何万年前だか何十万年前だか分からない昔の(キューブリックの「2001年」冒頭のヒトザルのシーンみたいな…)夢である。

もし「最高の知能と処理能力と情報量を持ちながら、西洋的ロジックとかキリスト教的倫理観とか機能和声とか現代風の歪んだ世界観のような邪魔なものが頭に仕込まれていないプレーンな人工知能」というのが存在するのなら、「結局のところ音楽って何?」と尋ねてみたい。でも、今のところはSiriやAlexaに聞いても、Wikipediaの「音楽とは何か?」の頁を紹介してくれるだけだ(笑

ただ、言葉で質問して言葉で返事をもらう以上、言語のロジックからは逃れられない。「返事は(言葉ではなく)音楽で」…というのが正しい回答なのかも知れない。「考えるな、感じろ(Don't think. Feel !)と言ったのはブルース・リーだったか…。「我思う、ゆえに我あり」の代わりに、こう呟く東洋風人工知能というのはいつ出来るのかしらん。

2019年1月 8日 (火)

レクイエム考

Diesirae_2NHKの音楽番組解説打合せのため、年末年始に古今の「レクイエム」を十数曲ほど聴くことになった。

レクイエムは、歌詞冒頭が「Requiem(安息を Aeternam(永遠の」で始まるため「レクイエム」と呼ばれるが、正しくは「死者のためのミサ曲」。カトリックで信仰の深さを確認する儀式「ミサ」のひとつなので、同じキリスト教でもプロテスタントの作曲家(バッハやメンデルスゾーン、ブラームスなど)は宗教曲は書いてもレクイエムは書いていない。(ブラームスは典礼文を使わずルター派の聖書からドイツ語の歌詞で「ドイツレクイエム」を書いている)

中でも有名なのは「怒りの日(Dies irae)」の部分で、世界の終末の審判の日、ラッパが鳴って死者が全て集められ、天国に行く者と地獄に落ちる者とが選別される…という怖いヴィジョンが歌われる。グレゴリオ聖歌の中の有名な旋律は、ベルリオーズの幻想交響曲など多くの作曲家の作品で印象的に登場するし、モーツァルトやヴェルディのレクイエムにおける「怒りの日」は衝撃的かつ圧倒的な音楽だ。

ところがこの「怒りの日」、ラテン語の典礼文の中に昔からある正式なものではなく、13世紀に創作されたもの。しかも、その目的はというと(見も蓋もなく言ってしまえば)カトリックの教会が「地獄は怖いぞ」「信心が薄いと地獄に落ちるぞ」と不安を駆り立て、地獄に落ちたくなければ「教会に献金をしなさい」という流れに持って行くため(実際、16世紀には教会がそのための「免罪符(贖宥状)というものを大々的に売り出している)だったのらしい。

当然「それはあんまりな話だ」「教会の堕落だ」と抵抗(プロテスト)する人が出て来て、結果「プロテスタント」と呼ばれる反カトリック的な宗派が出来た(…と以前、池上彰氏の番組でも説明していた)。そう聞くと、レクイエムの名品を聴いて感動しつつも、なんだか複雑な気持ちになる。

Faure

そのせいか、フォーレのように、カトリックでありながら「怒りの日」を外したレクイエムを書いている作曲家もいる。プロテスタントとまでは行かないにしろ「怒りの日」のヴィジョンには本能的な違和感を感じたからかも知れない。(私も1990年に書いた交響曲第2番の中にレクイエムの楽章を器楽的に組み込んでいるが、Introitus/Kyrie/Offertorium/Sanctus/Agnus Dei/Libera Me…の6部分で、典礼文は使わずDies Iraeも入っていない)。

ちなみに、現代(1960年代に行われたバチカン会議以降)では、「怒りの日」は不安や恐怖を強調しすぎていてふさわしくない、として正式な典礼の項目からは廃止されているのだそうだ。(なので、怒りの日が入っていないため「異教徒的」と批判されたフォーレの作も、現代では晴れて正しいレクイエムの形と承認されたことになる)

・・・蛇足ながら、むかしオーケストラのコンサートでヴェルディの「レクイエム」が演奏されたとき、インドから来た音楽家の方が「誰か亡くなったのですか?」「誰も死んでいないのになぜレクイエムなど演奏するのですか?」と心底驚いていたのが印象的だった。

彼によれば、音楽は世界/宇宙の調和を奏でるものであって、朝には朝の、春には春の「調べ」を奏でるのが基本。誰も死んでいないのにコンサートホールでレクイエムを演奏するような「世界の調和を見出すようなこと」をするから戦争が起こるのです!と説教された憶えがある。

なるほど、音楽にも戦争責任があったのである。

2016年1月 7日 (木)

ブーレーズ氏追悼

_57ピエール・ブーレーズ(1925〜2016)氏が亡くなった。

作曲家として1950~60年代、指揮者として70~80年代に音楽界の新しい道を切り拓いた鬼才であり、多くのことを勉強させていただき、色々な面で(間接的かつ野次馬的ながら)お世話になった尊い先達でもある。

合掌。

2015年6月24日 (水)

パート譜にがいかしょっぱいか

Printc_2 今は昔、作曲家として仕事を始めた1970~80年代頃、渋谷のNHKの近くの「プリントセンター」という写譜(浄譜)の会社に随分通い詰めた。なにしろオーケストラでもアンサンブルでも、作品を書き上げてまず真っ先に楽譜を持って行くのがこの「写譜屋サン」だったからだ。

むかしから作曲家と写譜業というのは切っても切れない仲。作曲家が書くのはスコア(総譜)というオーケストラ全部の楽器を書き込んだ数十段に及ぶ楽譜だが、それだけでは音も出ないし演奏も出来ない。演奏して貰うためにはそれぞれの楽器が演奏する音符を抜き書きした「パート譜」というのを作る必要がある。この…スコアからパート譜に書き写すのが「写譜」(あるいは作曲家の手書き譜を清書するので「浄譜」)という仕事である。

現代でも、放送局のまわりではドラマの音楽から歌謡曲の伴奏などに至るまで毎日毎日膨大な作曲編曲の楽譜が生まれ、毎月毎週毎日スタジオやコンサートホールに供給される。それを「早く・正確に・間違いなく・読みやすく・譜めくりしやすく」、しかも全て「手書き」で行っていたのだから大変な仕事である。私もデビュー以来、現代曲の新作からテレビやラジオの音楽まで、(貧乏時代に自分で制作したモノ以外は)《プリントセンター》か写譜専門の《ハッスルコピー》のお世話になっていた。

その後、プリントセンターはNHKプリンテックスとなり、さらに放送局関連の印刷や制作を総合的に行うNHKビジネスクリエイトとなり現在に至る・・・のだが、その「楽譜制作」部門、今月で業務終了になるのだそうだ。最近は楽譜も原稿と同じくほとんどコンピュータ制作してデータでやり取りする時代になり、写譜や浄譜の世界もかなり様変わりしたから、これも時流ということなのだろう。

とは言え、デビュー以来40年近い付き合い…しかも一番辛く苦しい時代の記憶が色々ある身としては…名残惜しい…とか、感慨深い…というような言葉では片付けられない複雑な情が背中を這い上がってくるのを感じつつ、思いにふける。

2015年4月14日 (火)

田園のトォテテ テテテイ

BeethovenpNHK 502スタジオでFM「ブラボー!オーケストラ」5月分2本の収録。

5月10日(日)放送分は、ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」ほか。阪哲朗指揮東京フィル(第857回オーチャード定期より)
5月17日(日)放送分は、ワーグナー:ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」より第1楽章(p:仲道郁代)、同:交響曲「ウェリントンの勝利」。飯守泰次郎指揮東京フィル(第62回午後のコンサートより)
          *

No6
ベートーヴェンの第六交響曲…と言えば、なぜか思い出すのが宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」。彼が所属する町のオーケストラ金星音楽団が練習していたのが(おそらく)この曲で、冒頭、楽長(指揮者)が練習途中「トォテテ テテテイ」の処でセロが遅れたのでやり直し!と叫ぶところから物語は始まる。

さて、これは何処の部分なのだろう?というのが昔から気になっているのだが、以前は、第1楽章冒頭のテーマ後半(上)や第3楽章の同じくテーマ後半(中)あたりを思い浮かべていた。しかし、「チェロが遅れる!」と指摘されていることを考えると(どちらもチェロでは弾いていないので)どうも違う。それに、その前後ではトランペットもクラリネットも鳴っているらしい(原典参照)ということになると…。

おそらく有力候補は、終楽章の26〜27小節あたり(下)だろうか。その直前25小節からトランペットが登場し、チェロ・ヴィオラ・ホルン・クラリネットによるテーマ斉奏になる。この部分後半が「トォテテ テテテイ」。当然チェロが遅れれば目立つし、楽長が「今の前の小節(つまり25小節め)から」と振り始めるのも納得できる。さらに「このへんは曲の心臓なんだ。それがこんなガサガサしたことで」という指摘も有り得そうだ。賢治サン、如何?

2015年3月12日 (木)

夢だけど夢じゃなかった…銀河鉄道考

Ginga_2 今書いている〈KENJI…宮澤賢治によせる〉という曲の最終章は「銀河鉄道の夜」をベースにしている。しかし、この余りにも有名な作品、私が最初に読んだもの(昭和28年角川書店刊の宮澤賢治集)と現在出版されているものとは、登場人物も構成も終わり方も随分違う。

現在の版(後期形)では、ジョバンニはケンタウル祭の夜、丘の上で銀河鉄道の夢(友人カンパネルラと銀河を旅行する)を見、目を覚ました後、川に寄ってカンパネルラの死を知る。銀河鉄道は純粋にジョバンニが見た「夢」として処理され、ラストは家(現実)に帰るジョバンニで終わる。

一方、私が読んだ古い版(初期形)では、ジョバンニはカンパネルラが川で溺れたことを知った哀しみで丘の上に行き、銀河鉄道に乗る。そしてカンパネルラと銀河を旅するが、突然見失う。そのあと目を覚まし、セロのような声の博士(ブルカニロ博士)からカンパネルラが死んだことと銀河鉄道がある種の心理学的実験だったことを告げられ、ラストは琴の星の描写で余韻を残して終わる。

賢治の死後、昭和30年代くらいまでは、後者の形で出版されていたが、その後色々な研究から、夢から覚めてカンパネルラの水死を知るまでのシーン(原稿用紙の裏に書かれた5枚)が最後に来るのが賢治の考えた最終形だということになったらしい。それに伴い、初期形で登場する博士や実験のくだりは全面削除した方が整合性がある…ということで昭和40年代以降、現在のような形になったという。

賢治自筆の原稿は83枚ほど残っているそうだが、原稿用紙の枡目に書かれているのは銀河鉄道に乗っている間の中盤半分ほど。あとは、序盤(学校から丘まで)も結尾(目が覚めてから最後まで)も用紙の裏に書かれた走り書きに近く、しかもあちこちバッテンで消されていたり二重三重に書き込みが成されている。最終的にどういう構成にするつもりだったのかは、賢治亡き今となっては永遠の謎である。

現在、普通に出版されている「最終形」は、確かに物語の構成自体はかなりスッキリ分かりやすくなったが、ブルカニロ博士の存在を抹消したことで、彼が宇宙や世界についてジョバンニに語るステキな言葉まで全面削除されてしまったことは残念でならない。私が「銀河鉄道の夜」で一番好きなのは、博士がジョバンニに語るこんな言葉だからだ。

Genko

「みんながめいめい自分の神様が本当の神様だと言うだろう。
けれども、他の神様を信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それから、僕たちの心がいいとか悪いとか議論するだろう。
そして、勝負がつかないだろう。

けれどももし、おまえが本当に勉強して、
実験で本当の考えとウソの考えとを分けてしまえば
その実験の方法さえ決まれば、
もう信仰も化学と同じようになる」

                  *

もうひとつ、個人的に気になるのは、最初に読んだ古い版のラスト、
  「琴の星がずうっと西の方に移って
  そしてまた〈夢〉のように足をのばしていました」
という部分である。
(ちなみに、その部分の原稿(右上)は、半紙に書かれた鉛筆での走り書き。「カンパネルラをぼんやり思い出すこと」などというメモがあり、草稿の最終ページだったため、これが物語の結尾だと思われていた)。

昔の版で読んだ私にとっては、これこそが「銀河鉄道の夜」を締めくくる印象深いエンディングだった。銀河鉄道について「なんだ、夢だったのか」というような身も蓋もないことは言わず、最後に星を見上げて「夢のよう」と遠回しに述懐する詩的で見事なラストだと感心したほどである。

Yume3_2 しかし、現在ではこの「夢のように」という部分も、「夢」というのは誤植で「蕈(きのこ)」が正しいとされ、そのように修正されている。

←写真一番左がその《夢/蕈》の該当部分。鉛筆による走り書きなので確かに「夢」とも読める微妙な筆跡だ。

一方、真ん中は「五.天気輪の柱」の中で琴座に触れた「蕈のように」の部分。こちらは原稿用紙にインクで清書された文字であり、明らかに「キノコ」と読める。
そして、一番右は別の部分でペンで書かれた「夢」の筆跡である。

この物語では琴座と蕈はペアで登場し、キノコだからこそ「足」つまり傘の下の柄の部分を「のばして」いるのだ…と言われてしまえばその通りなのだが、この美しい物語のラストを締めくくる琴座の描写が 「夢のよう…」という表現だったからこそ「ああ、なんて美しい終わり方なんだろう」と思ったのは私だけではないはずだ。
だから、これがラストですらなく、しかも「キノコ」と書かれている(新しい)《銀河鉄道の夜》を読んだときのショックったらなかった。

確かに「夢」ではないのかも知れない。
でも「夢」であって欲しいと願わずには居られない。
賢治さん、「夢」だと言って呉れ。

2014年11月28日 (金)

手書きスコアの時代

Matsumurat楽譜棚を整理していて松村禎三師の「管絃楽のための前奏曲」(1968)のスコア(手書きのコピー)を久し振りに見つけ、京都で見た東寺の「曼荼羅」を思い出していた。

冒頭のオーボエ・ソロの旋律がひたすら増殖して全オーケストラに広がってゆく…というワンアイデアの作品なのだが、同じ発想の「ボレロ」と違って、こちらは完全に東洋的な世界。数百数千の仏像の群がびっしり世界を埋め尽くすような圧倒的なイメージを持った曲で、この曲を一聴して以来この作曲技法に10年ほど「取り憑かれ」てしまった。(高校の頃、気付くといつもこの旋律を口笛で吹いていて、同級生に「気持ち悪いから!」と何度も指摘されたほど。確かにボレロの旋律より不気味ではある・(=_=)・)。19歳の時に松村さんの処に無理やり伺ったのも「こんな曲を書くのはどんな人なのか?」と知りたかったことが大きい。

もともと松村さんは京都の呉服屋の生まれで、父親がかなり熱心な仏教徒だったという。だから、この曲が「ボレロ」を意識しつつ「曼荼羅」を思わせる処があるのもあながち的外れではないようで、実際、後半に般若心経を歌う千人の大合唱を付ける構想もあったと聞く。この曲は、その巨大な作品への「前奏曲」ということだったのらしい) …もうひとつ、「実はこの曲はね…」とむかし師匠が語ってくれた驚愕のネタがあるのだが、それは…あまりにホラーすぎてちょっと人には言えない…_(_^_)_

Takemitsut それにしてもこの手書きのスコアは、「よくもまあこんなにビッシリゴチャゴチャと書き込んだものだ」と呆気に取られたという点でも衝撃的だった。この時代(1960ー70年代)の武満さんと松村さんは「無駄に書き込んだ細かいスコア」の競争をしていたのでは?と思うほど精緻な(美術品のような)楽譜を残していて(武満さんの極致は縦1.1m、80段を優に超える巨大スコアの「カシオペア」(1971)か→) 、私を含む多くの若い作曲家たちに悪影響(?)を与えている・(=_=)・。

現在は、私自身すべてパソコン入力&清書になっているほどで、今さら「手書きに戻れ」などと言う気はないが、この「膨大で無駄な手間」こそが、あの時代のひたむきな情熱の一部だったことは確かだ。そこから生まれた「無駄にゴチャゴチャ書き込まれた」スコアたちは、私にとって貴重な青春の記憶(おかげで青春を潰してしまったという恨みも込めて)であるとともに生涯の大いなる宝物でもある。

2014年10月19日 (日)

名前の英文表記

Name

ここ40年分くらいの楽譜を整理していて改めて気になったのは、自分の名前の英文表記(の姓名順)だ。

個人的に、昔からなんとなく好みで「YOSHIMATSU,Takashi」(姓を大文字で、名を小文字で)という表記を使っているのだが、音楽業界では、レコードやCDなどからプログラムまで(今でも)ほとんどが「名・姓」の順番が定着している。気になって調べてみたら、私の作品が入っているアルバムは国内外盤問わずすべて(一枚の例外もなく)「Takashi Yoshimatsu…と「名・姓」の順番だった。(しかし「平清盛」は、Kiyomori TAIRA…とはなっていないようなのだが・φ(.. )

確かに、海外で名乗るときは「名・姓」の順でないと「どっちが名前デスか ?」と改めて聞かれてしまうことが多い(特に、どちらが姓でも名でもあり得るような名前の場合はなおさら)ので、おそらく明治時代に渡欧した先人たちが「外国に合わせて」名・姓の逆順にすることを慣習としたのは分かる気がする。

ただ、最近では国語審議会などでも「姓・名の順(Yamada Tarou)にすることが望ましい」と明言しているように、少なくとも国内発信する分は「姓・名」のスタイルが多くなりそうだ。もっとも、その場合はやはり(相手が混乱しないように)…姓=大文字、名=小文字…のような分かりやすい表記にすべきなのだろう・・・(などと書いていて気付いたのだが、クレジットカードなどはローマ字表記が全て大文字である。…こういうのはサテどうなるべきなのか?

2014年7月28日 (月)

敢えて今、交響曲を…

140728先月「交響曲を書くわけ」で受けた取材が記事になる(日本経済新聞28日夕刊)

うっかりピアノの上に置き忘れていた交響曲第7番のスケッチについても書かれてしまったが、これは「作曲中の作品」ではなく「ネタ」(なにしろ「鳥〜曼荼羅」なんて走り書きしてある)。死んだときに未完の交響曲の楽譜が・・・というのが夢なので・・・d(^-^)!

ちなみに、作品のスコアは(仮プリントアウトしない限り)パスワードでロックされたパソコンの中に入っているので、作曲者の死後は誰にも開けない文字通りの「お蔵(HD)入り」。というわけで・・・「この中に未完の交響曲のスコアが入っている筈ですが開けません」というHDだけが残される・・・と想像するとドキドキする(気分はほとんど「いぢわる爺サン」・(∩.∩)・

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