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    ・NHK-FM 毎週日曜日19:20~20:20放送。毎月第1-2日曜日(+α)東京枠解説担当。
    ・01月10日/17日(再)/31日
    ・02月07日/14日
    ・03月07日/21日

コンサート、放送

2021年2月12日 (金)

N響演奏会ゲスト

210212NHK-FM「N響演奏会」ゲスト出演で東京芸術劇場へ。

NHK交響楽団2月公演。曲目は・スメタナ「売られた花嫁」から3つの舞曲/シマノフスキ「ヴァイオリン協奏曲第1番」(vn:イザベル・ファウスト)/ドヴォルザーク「交響曲第6番ニ長調」。指揮:熊倉優。ゲスト:吉松隆、司会:金子奈緒。

・冒頭スメタナの「売られた花嫁」は、有名な〈序曲〉ではなく、舞曲3つ(ポルカ・フリアント・道化師の踊り)。フリアントが後半ドヴォルザーク第6番の3楽章フリアントと呼応する仕掛け。
・続くシマノフスキの作は、R=シュトラウス(サロメ)やストラヴィンスキー(火の鳥)を思わせる幻想的なサウンドで書かれたヴァイオリン協奏曲。高音でキリキリ歌うヴァイオリンが美しくも官能的。イザベル・ファウストの鉱石のような弦の響きに酔いしれる。
・最後の交響曲第6番ニ長調はドヴォルザークが40歳直前で書いた国際舞台デビュー作。初出版の交響曲と言うことで当時は〈第1番〉と呼ばれていた(かつては新世界が第5番だった)が、本人は第5番という認識だったのだとか。後に習作の第1番の楽譜が見つかって通し番号を付け直したため現在の番号になっている。ウィーンでの初演を目指してかなりブラームスを意識した力作で(ただし最終的にはそれはかなわずプラハ初演となる)ボヘミアの香りは控えめだが、このあと第7番ニ短調・第8番ト長調・第9番ホ短調とぐいぐいクォリティを上げてゆく奇蹟の起点となった曲。若いマエストロの精気漲る演奏でずいぶんこの曲の印象が変わった気がする。(それにしても…解説ゲスト出演の依頼が来たときは曲目を聞いて「何を話そうか?」と戸惑ったほどの渋いプログラムだったが、案ずるより産むが易し(笑)。

放送は2月17日(水)19時〜「ベストオブクラシック:N響演奏会」@NHK-FM。

2020年12月16日 (水)

田部京子ピアノリサイタル

201216毎年年末恒例の田部京子ピアノリサイタル(浜離宮朝日ホール)を聴きに行く。

ベートーヴェン生誕250周年の誕生日(12/16)の夜、最後の3つのピアノソナタを聴く…という降霊術のような趣向。シューベルトのアダージョを序章にして前半がソナタ30番と31番、後半にメインとなる大作32番を配して祈るような高音のトリルで締めくくった後、アンコールでさらに天国へ浮遊するようなシューベルトのアヴェマリアで終わる一夜。

晩年の孤独な巨匠が夢見た「全ての人が抱き合いキスし合い神々の優しき翼に包まれる」という夢はコロナ禍のロックダウンの前に消え果て、最後のピアノソナタや弦楽四重奏曲の描く孤独な世界がリアルになり心に染みるという皮肉なベートーヴェンイヤー。心の底を見つめ直すような深い世界を改めて再発見出来たのはいいが、それをマスクをして息苦しさの中で聴かなければならないとは……

2020年12月13日 (日)

三村奈々恵マリンバリサイタル

2012131三村奈々恵さんのマリンバリサイタル(トッパンホール)を聴きに行く。

デビュー20周年記念ということで、スチールパン・チェロ・クラリネット・エレクトーン・パーカッションとの共演も含む多彩で色彩豊かなプログラム。マリンバはミニマル音楽や電子的なサウンドの世界とよく合うと改めて感心する。

最後は、拙作マリンバ協奏曲〈バードリズミクス〉のピアノ伴奏版をエレクトーン(elT:渡辺睦樹)とパーカッション(perc:萱谷亮一)で演奏するというちょっと面白い試み。初演がちょうど10年前(2010)。そんなに経つのかと、しばし遠い目になる。「難しいですよぉ」と改めて泣き言を言われる(笑)も、協奏曲だから難しいのが当たり前。エレクトーンの万華鏡のような音色の多彩さに改めて驚くが、個人的には終わりの8小節が死ぬほどスキ。

オリジナルの協奏曲版は、今年の5月に上演されるはずがコロナ禍で中止となるも、来年5月にセンチュリー交響楽団@ザ・シンフォニーホール(大阪)で仕切り直して上演の予定。乞うご期待。

2019年12月12日 (木)

銀座のブラームス

Tabe191212〈田部京子ピアノリサイタル〉を聴きに浜離宮朝日ホールへ。

新シューベルト・シリーズ第6回の今回は、シューベルト晩年のミニアチュア「アレグレット」に始まり、シューマン「子供の情景」、グリーグ「ペールギュント」を経て、最後はブラームスの大作ピアノソナタ(第3番)。

彼女の演奏は(考えてみると)結構異形の表現(聞いたことのないアプローチ、聞いたことのない表現)に満ちている。しかし、それが微塵も不自然さを感じさせず「これほどの自然はない」と思えるほど「自然」に聞こえるから不思議だ。

特に今回のコンサートでは、ピアノの響き(ブラームスの強音からシューベルトの弱音まで)がぴったりホールと聴衆を包み込む絶妙な響きのバランスで鳴っていたこともあり、息を呑むような美しさ。響きは奔流となって押し寄せるのに、まるで時が止まっているかのような静謐さがあり、深淵を覗き込むような(そして深淵から覗き込まれているような)情感が漂う。

終演後、ブラームスの余韻を肴に銀座で一杯。さすがに熱燗…は合わないので、近くのバーでアイリッシュ・ウィスキー(Jameson Black Barrel)を。

2019年11月12日 (火)

舘野泉&草笛光子 宮澤賢治

Tateno201911本日は東京オペラシティ(初台)で舘野泉さんのバースデイコンサート

曲目は、カレヴィ・アホ:ピアノ五重奏曲"Mysterium”(初演)、エスカンデ:アヴェ・フェニックス(初演)、吉松隆:KENJI…宮澤賢治によせる(語り:草笛光子)。

KENJI…は、昔(1996年)宮澤賢治生誕100年祭に書いた〈オマージュ〉を元に、2015年に朗読とチェロと左手ピアノ用に改作、それをさらに舘野さんと草笛光子さんのお二人での上演用に改編したもの。

宮澤賢治の作品から6つの断片(やまなし、オホーツク挽歌、銀河鉄道の夜ほか)を抽出し、2つの間奏曲(牧歌と星めぐりの歌)を挟んだ構成になっている。演出:栗原崇さん。

2019年8月31日 (土)

美女と野獣のトーク&コンサート

190831aaベーゼンドルファー東京ショールーム(中野坂上)での〈美女と野獣のトーク&コンサート〉に顔を出す。音楽評論の真嶋雄大さんの司会で演奏家とのトークを交えたミニコンサート・シリーズ。今回はピアノの田部京子さん。

冒頭は、オーボエの中村あんりさんとの共演でモーツァルトのヴァイオリンソナタ ホ短調。この曲昔から大好きな曲なのだが、モーツァルトでホ短調というのは極めて珍しい(と真嶋さんの解説でも触れていた)。今聴くと「爽やかな哀愁」という感じだが、当時は「極めて珍しいキイのしかも短調」というのはかなり暗いホラー的な響きに聞こえたのかも知れない。もしかしたらギターとヴァイオリンでの演奏(ギターは調弦の都合でホ短調はきわめて自然に響く)で発想したのかも?と思ったりもするが、ヴァイオリンのホ短調の艶やかさとほの暗さのバランスはメンデルスゾーンの有名な協奏曲で証明済み。この曲をオーボエで…というのは田部さんのアイデアだったそうだが、移調してニ短調あるいはト短調で演奏すればさらに哀愁が際立った〈オーボエ・ソナタ〉に生まれ変わるかも知れない。

Photobdコンサートはその後、ピアノソロでシューベルト、ブラームス、グリーグと続き、アンコールでプレイアデス舞曲集の一曲が演奏された後、ちょっと登壇して(作曲家と作品についての裏話的な)お話を少し。・・これで無事、美女2 vs 野獣2のバランスに(笑

2019年7月26日 (金)

田部京子リサイタル@ピアノの深淵

Tabe190726 夜、浜離宮朝日ホールへ田部京子さんのピアノ・リサイタルを聴きに行く。

ベートーヴェン:悲愴ソナタ、シューベルトのソナタ第13番、そしてシューマンの大作「幻想曲」というプログラム。精緻で美しい…深く澄んだ水面を覗き込むような…ピアノの音がひたひたとホールを包み込む。前半に演奏された「悲愴」の奥の繊細さ、シューベルトの清涼無垢な響き。時が静止したような時が流れる。

後半のシューマンの「幻想曲」は…個人的に未だに良く分からない曲のひとつ。彼女の演奏は、男の作曲家の音楽の底にある濁りや歪みのようなモノを優しく包み込む女神性みたいなものがあり(私の曲も随分それに助けられた)、シューベルトではそれが見事に発揮されるのだが、シューマンの闇は包み込むにしては歪みすぎている?のか、詩情や情熱を描くピアノの響きの向こうにある「怖さ」みたいなものをひたひたと感じる。(これをドイツロマン派の影の部分として堪能すべきなのか、苦汁のようなものと感じるべきなのか…)

最後にアンコールで演奏された「トロイメライ」も、あまりの美しさ静けさながら…実を言うと無垢さの向こうの闇を感じてしまったので、これはもう曲や演奏云々ではなく、聴いている自分自身の心の中の深淵を覗き込んでしまったということなのだろう(深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている…と言ったのはニーチェだったか)。鏡のように澄んだ水面に「暗い顔をした変な男」が映っていると思ったら、それは自分自身の顔だった…みたいなものだ(笑。

2019年5月25日 (土)

舘野泉&ラ.テンペスタ室内管弦楽団

Tempesta 舘野泉さんとラ・テンペスタ室内管弦楽団のコンサート(東京オペラシティ)に一瞬だけ顔を出す。

日本とフィンランド国交樹立100周年記念公演。ちなみにフィンランドはロシア革命の年1917年12月に独立を宣言し、日本は(ちょうど100年前の)1919年5月にそれを承認。それを受けて初代フィンランド公使として言語学者でもあるラムステット(Ramstedt)氏が来日。1920年(大正9年)から29年(昭和4年)まで日本に滞在し、柳田國男や宮澤賢治と交流を持っている。(そのあたりについては拙稿「シベリウスと宮澤賢治」参照)。

あれから100年。思えば想像を絶するような色々なことがあったなあと遠い目になるが、さらにこれから100年…もっと想像を絶することが…あるのだろうか…(? などと言っていたら公演中に地震があった…

2019年3月22日 (金)

らららクラシック@フォーレ

LalafaNHK ETV「らららクラシック」フォーレのレクイエム回放送。

冒頭「レクイエムに詳しい人をお呼びしました」などと紹介され、ちょっと困ってしまったのだが、こと宗教がらみのことは(音楽にしろ)解説が難しい。同じキリスト教でもカトリックとプロテスタントは視点が違うので、どう説明しても「正確ではない」と言われる可能性があるからだ。そのため今回も、収録のあと専門家によるチェックをお願いした。

なので……レクイエムは正確にはカトリックの礼拝で行われる「死者のためのミサ曲」であり、「鎮魂曲」と訳すのはちょっと違う…とか、「怒りの日」というのは、「地獄は怖いぞ」と信者に恐怖を与え、罪を許して欲しかったら「免罪符」を買いなさい!と教会に献金を集めるCM音楽みたいなもの。それに抵抗する人たちがプロテスタント(抵抗する者という意味)として分離し、宗教改革になったわけで、バッハのようなプロテスタントの作曲家は「怒りの日」どころか「レクイエム」も書いていない。…というような身も蓋もない説明の部分は編集済み。

Lalaf厳密に言えば、「レクイエム」はラテン語の典礼文を遵守して作曲すべきで、勝手に「怒りの日」を抜いたり順序入れ替えたり省略したりはNG。そもそもカトリックの信者以外が「レクイエム」を書くのは異端。(なのでプロテスタントのブラームスは、ルター派の聖書からドイツ語で「ドイツレクイエム」を書いている)。ということは、フォーレが19世紀末の時点で「怒りの日」抜きのレクイエムを書いたのは、(いくら私的な作品とは言え)音楽的に斬新…というのを飛び越えてしっかり「異端」だったわけで、あの優しく穏やかな曲調からは想像できないほど怖いことをやっていたことになる。

ちなみに、現在では1960年代のバチカン会議で「怒りの日」や「レクイエム」に関する縛りはなくなり、カトリックの音楽家以外でも「レクイエム」を書くのは自由になった(のだそうだ)。

余談ながら、最後の美しい「イン・パラディスム」の演奏を聴いた後、「いかがでしたか?」と聞かれて思わず「いやあ、死にたくなりましたね」と応えそうになったのだが、それはさすがに自主規制(笑

再放送は3月28日(木)午前10:25から。

2018年12月19日 (水)

年末のシューベルト

Tabe181219夜、田部京子さんのリサイタルを聴きに朝日浜離宮ホールへ。

CDデビュー25周年という区切りもあってか前半のシューマン「交響的練習曲」から気力充実した圧巻の演奏。彼女持ち前の音の美しさに力強さと自在さが加わり、神がかった感じさえする。

そして後半は、(田部さんの演奏に出会うきっかけにもなった)シューベルト最後の変ロ長調のソナタ(第21番)。デビュー時に既に完成された演奏だったが、今回はさらに一音一音が磨き抜かれ、それに力感が加わった底知れぬ演奏。この曲、美しい旋律の裏で退屈冗長な楽句も少なくないのだが、すべての音を丁寧にすくい上げ、一音も無駄にせず生命を与えていることに舌を巻く。

この時期のシューベルトの音楽はどこか病んだ諦観と「男の弱さ」が漂うのだが、母性が全てを包み込んで補完…というより昇華(成仏?)させている感じがする。シューベルト自身がこれを聞いたら「これは僕の考えていた音楽じゃない。でもこの方がいい!」と言うだろうか。私も彼女がプレイアデス舞曲集を演奏した時まさしく「これは僕の考えていた音楽じゃない。でもこの方がずっといい!」と言ったことを思い出す。

アンコールには、そのプレイアデス舞曲集から「真夜中のノエル」も演奏され、作曲者として客席で立って答礼。そのせいか、帰り際、サイン会に列をなしていた田部さんファンのおじさま群のひとりに「ヨシマツさん、おしあわせですね」と羨ましがられる(笑。

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