リハーサル
東京シティフィルで交響曲第3番のリハーサル始まる。
初日はパートのチェックを含めて指揮研究員の山上紘生氏が下振りをしてくれたのだが、彼はなんと3月の古希コンサートの同じ日にアマオケで「タルカス」を振っていたヒト。わずか3ヶ月の間にタルカスと第3番を降ることになるとは…凄い指揮キャリアである。
本番は6月9日(金)東京オペラシティ。
東京シティフィルで交響曲第3番のリハーサル始まる。
初日はパートのチェックを含めて指揮研究員の山上紘生氏が下振りをしてくれたのだが、彼はなんと3月の古希コンサートの同じ日にアマオケで「タルカス」を振っていたヒト。わずか3ヶ月の間にタルカスと第3番を降ることになるとは…凄い指揮キャリアである。
本番は6月9日(金)東京オペラシティ。
今月は交響曲第3番の当たり月。東京と大阪とCD…しかも献呈者である藤岡幸夫氏と新世代のマエストロ原田慶太楼氏の競演。今年は「没後50年」か何かなのだろうか?
6月9日(金)藤岡幸夫指揮東京シティフィル@東京オペラシティ。
6月16日(金)原田慶太楼指揮関西フィル@シンフォニーホール(大阪)。
6月21日(水)CD交響曲第3番/タルカス@COCQ-85609。
CD古希コンサート(仮)ブックレット用に原田慶太楼氏と対談&インタビュー。聴き手:小室敬幸氏。
交響曲第3番・タルカス・鳥のシンフォニア・鳥は静かに…それぞれの曲や演奏の裏話など。CDは2枚組で6月頃発売予定。
このあと今月22日には横浜(日本フィル横浜定期)で交響曲第6番。6月9日には藤岡幸夫指揮で第3番(東京シティフィル定期)、16日には関西フィルで第3番…と交響曲祭り進行中(笑
3.11/古希コンサートのリハーサル始まる。
メモ・・・・・
□鳥は静かに(1998)
コンサート冒頭は〈タルカス〉の作曲者キース・エマーソンの命日(2016/3/11)によせる追悼の一曲。
私の還暦コンサート(2013/3/18)に舞台上でHappy Birthday+Tarkusの即興演奏をしてくれた思い出に。
□鳥のシンフォニア(2009)
続くこの曲は、今まで録音が無かったので、今回のコンサートで「是非」とリクエストした一曲。
もともとは小中学生中心のジュニアオーケストラのために書いた作品で、古今の色々なオーケストラやビッグバンドジャズの響かせ方の「おいしい処」を集めた5つのオーケストラ練習曲(&青少年のための管弦楽入門)。
なので、聴く人が聴くと「ああ、ここはアレね」と分かってしまうことと、プロのオーケストラが普通に本気で演奏すると何となく「大人げない」感じがするので、「初々しい感じで、ちょっと辿々しく瑞々しく…」と注文したのだが、サテどうなるか(笑。
ちなみに、この曲の3年後に担当した大河ドラマ(平清盛)の音楽のルーツでもある。
□タルカス(2010)
究極の独りよがり&自己満足かつ超難産の末に生まれ落ちた作品なのだが、これはもう「生んで良かった」としみじみ思う一曲。
キース・エマーソン氏がEL&Pのためにこの曲を書いたのが20代後半。今聴いても「シンフォニックな」構成力の見事さに感心する。彼が生きていたら是非ともキイボードで共演して貰いたかった…と思わずにはいられない。(もうひとつ、実は今回、ロック好きな某オペラ歌手の方による「歌付き」のタルカスの案もあったのだが……残念ながら実現は叶わず)。
オリジナルEL&P版を聞き込んだシン・ロック世代のマエストロ・ハラダ版「タルカス」に乞うご期待。
□交響曲第3番(1998)
今回のコンサートのメインとなるこの曲は「第3番」というのがタイトル。(とは言え、確かに「英雄」…よりは、むしろ「運命」に近いのだが…)とにもかくにも「交響曲である」ということ(ソナタ形式のアレグロ・文字通りのスケルツォにアダージョ・祝祭的なフィナーレ)にこだわって(かなり力んで)書いている(笑。
目指したのは、繊細で神秘的な「日本」ではなく、ゴジラや黒澤明映画風の土俗的で呪術的な「日本」風の交響曲。実際(交響曲作家の大先輩である)松村禎三師風の御詠歌メロディや伊福部昭師風のタプカーラ(足を踏みならすアイヌ風舞踏)リズムなどが出て来る。
録音初演したときは指揮の藤岡幸夫氏に「七人の侍の菊千代(三船敏郎)みたいな感じ」と説明した記憶がある。野武士の一群が村に押し寄せるのを見つけ屋根の上で「来やがった、来やがった!」と踊りながら叫ぶ、あの感じなのだが、サテ今回は…。
ちなみに、全編手書きで書き上げたアナログ時代最後の交響曲でもある。
タワーレコード「イントキシケイト」誌の取材を受ける。聴き手は小室敬幸さん。
それにしても私が最初の交響曲を書いた三十代半ば頃、まさか自分が作曲家として70歳近くまで生き延びるなんて1㍉も想像していなかった。いや、そもそもクラシック音楽とかオーケストラとか交響曲が21世紀にもなってまだ生き残って居るなんて、これはもう100%絶対あり合えないと思っていた。
しかし、現実は全て大はずれだ。なので私には(過去を愚痴るのは許して貰うとして)未来を語る資格はない。
人生にしろ世界にしろ音楽にしろ、未来は全く以て何も誰にも分からない。
だから若者たちよ。楽観するのも悲観するのも無駄だ。
とにかく生きたいように生きたまえ。
NHKのとある番組のために西村朗センセと大阪万博(EXPO'70)の思い出を核に70〜90年あたりの現代音楽や世界について対談。
二人とも当時は青雲の志に燃える高校生。(私は夏休みに東京から知り合いの家に居候して2泊3日の万博体験。西村氏は地元だったのでお祭りに通うように何度も訪れたそうだ)二人して現代音楽絶頂期の熱気と夢と狂気を全身に浴びて音楽の道に踏み込んだ…筈だったのだが、この万博をピークにして衰退と転落が始まるとはその時は知る由もなかった(笑
→写真は鉄鋼館スペースシアター(武満徹・クセナキス・高橋悠治らの音楽が1000個の可動式スピーカーやレーザー光線と共に演奏されていた未来的音楽空間)。下は10年ほど前に訪れた時の鉄鋼館。