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    ・NHK-FM 毎週日曜日19:20~20:20放送。毎月第1-2日曜日(+α)東京枠解説担当。
    ・12月10日/24日

2017年11月22日 (水)

ショパンの歌・大地の心

ChopinsFM「ブラボー!オーケストラ」12月分1本の収録にNHK405スタジオへ。

今回は12月10日(日)放送分で、ショパン:ピアノ協奏曲第1番(p:遠藤郁子)ほか。演奏は円光寺雅彦指揮札幌交響楽団。(2017年6月24日札幌交響楽団名曲コンサート「大地のショパン」@Kitaraより)

七十代を迎えられた大御所ピアニストのショパン。しかも通常40分ほどの曲を46分近く かけて演奏している…と聞いて失礼ながら(誠に失礼ながら)最初は微かに不安を感じたのだが、一音一音を慈しむような美しい演奏に感動。普通は「経過句」のような技巧的部分はアクセルをふかして弾き飛ばしてしまうのだが、「そんなに急いでどうするの」とばかりに丁寧に音を紡いでゆく。

演奏家は「楽譜を正確に音にする」のではなく、「楽譜の向こうにある音楽を音にする」のだと改めて感じさせてくれた演奏だった。

ちなみにコンサートのタイトル「大地のショパン」というのは、曲目がチェコ(ドヴォルザーク)に始まってポーランド(ショパン)〜ロシア(ムソルグスキー)〜中央アジア(ハチャトリアン〜ボロディン)というように西から東に大地を俯瞰する並びになっていることからの命名のようだ。演奏された「札幌」(ピアニストの出身地でもある)を起点に大地の記憶を遡ってゆくと、ショパンに達する…というなかなか素敵なヴィジョンである。

2017年11月 6日 (月)

ブラームスと定年

BrahmsjFM「ブラボー!オーケストラ」の収録にNHK504スタジオへ。

今回は11月12日(日)放送分で、ブラームス交響曲第4番。渡邊一正指揮東京フィル(6月14日第110回オペラシティ定期より)およびグリンカ「幻想ワルツ」(指揮プレトニョフ@10月23日第898回サントリー定期より)

ブラームス晩年の憂愁感漂う第4番……と言っても、51-2歳頃の作品。人生80年90年の現代では50歳で「晩年」はないが、「人間五十年」の時代には充分晩年感があったのだろう。(ちなみにブラームスは享年63。第4番を書いたあと10年の余生がある)

そう言えば、人間は神様から定年50歳(肉体の使用期限が50年)と定められている…とどこかで聞いた憶えがある。生物学的に「恋愛して(生殖活動をして)」「子供を産む(子孫を残す)」という環に参加出来なくなった時点が、その生物にとっての「定年」だとすれば、そこそこ妥当な線のような気がしないでもない。ブラームス先生が第4番を書いている頃に感じたのも、そういう「50歳の壁」だったのかも知れない。

ただし、そういうコトが出来なくなったことでがっくり老け込む人もいれば、そういうコトから解放されて自由かつ元気になる人もいる。「晩年」に枯れる人もいれば、逆に燃える人もいるのはそのせいだろうか。個人的には、歳取ったら普通に枯れて最後は透明になって消える…というのが理想なのだが…サテ、そろそろ

2017年10月25日 (水)

英雄・受難・亡き子

HaydnbeethovenmahlerFM「ブラボー!オーケストラ」の収録にNHK401スタジオへ。

10月29日(日)放送分は、ベートーヴェン交響曲第3番〈英雄〉。ミョンフン指揮東京フィル(9月16日第61回響の森クラシックシリーズより)

11月5日(日)放送分は、ハイドン交響曲第49番〈受難〉およびマーラー〈亡き子をしのぶ歌〉(MS:小野美咲)プレトニョフ指揮東京フィル(10月18日第113回東京オペラシティ定期より)

No3今回、ちょっと妙なところに注目してしまったのが、ベートーヴェン〈英雄〉の「3づくし」な点。3番目の交響曲、調性は音階の3番目の音「Mi♭(Es)」の調、当然♭が3つ。(しかも1・3・4楽章が変ホ長調、2楽章がハ短調なので、楽譜は全楽章♭3つ)。主人公はEs管のホルン(しかも3本)、EroicaSymphonyと綴ると頭文字は「ES」。音楽の三和音、フランス革命の三色旗(自由・博愛・平等)に通ずるのだろうか。

Fm こんな「3づくし」みたいな算数的凝り方はベートーヴェンっぽくないような気もしないでもないが、今回、師のハイドンの第49番〈受難〉のスコアを見て「さすが師弟!」と納得した。この曲、4楽章全部がヘ短調という妙な作りなのだが、ヘ短調はフラットが4つ。つまり全楽章で曲の始まりに必ず「十字架」が並ぶのだ(受難だけに!)。作曲家というのは時々こういうヘンなことをする(そう言う自分も心当たりがあるのだが)。

ちなみに「英雄」をナポレオンとするには、第2楽章に葬送行進曲というのは妙だと昔から思っていた。それだと後半2つの楽章は「おまけ」にしか聞こえないからだ。しかし「人は死して〈不滅の存在=英雄〉として生まれ変わる」という人間賛歌と捉えれば、再生後の後半2つの楽章の明るさが納得できる。
もしかしたら「英雄」というのは革命や自由のために死んだ無名の市民たちであり、この曲は(現世の英雄などと言うちっぽけなモノではなく)「神の手に抱かれて兄弟となった」彼ら(英雄=人間)を描いた、ある意味では第九の先駆けとなる壮大な作品なのかも知れない…。

Kindertotenという視点で最後に「亡き子をしのぶ歌」を聴くと…何だか色々と儚さや切なさや透明な哀しみがひたひたと大気に広がってゆくのを感じる。

始まった音楽はいつか必ず終わる。でも、新しい音楽がまたどこかで始まる。同じように、人は生まれ、いつか死ぬ。でも、どこかでまた新たな人が新たな夢を抱いて生まれてくる。そうして世界は遙かな未来へ歪んだ夢のように繋がってゆく。

2017年9月29日 (金)

チャイコフスキーとマーラーの生と死

Tcaikomahler1892_2FM「ブラボー!オーケストラ」10月分2本の収録にNHK401スタジオへ。今回は、マーラーの大作:交響曲第2番《復活》。

まず10月8日(日)は、始めにチャイコフスキー幻想序曲「ロメオとジュリエット」(バッティストーニ指揮東京フィル@6月4日第72回平日の午後のコンサートから)。そのあとマーラー:交響曲第2番「復活」の前半第1・2楽章を。

そして10月15日(日)は 後半の3・4・5楽章。演奏は、チョン・ミョンフン指揮東京フィル。ソプラノ:安井陽子、メゾソプラノ:山下牧子、合唱:新国立劇場合唱団。(7月21日第111回オペラシティ定期より)

1時間半という長さの「復活」を1時間番組で放送するため前半・後半と分け、別の日に収録した20分ほどの長さのチャイコフスキーの序曲を(偶然)組み合わせた…のだが、実はマーラーとチャイコフスキーのこの作は因縁浅からぬモノがある。

1892年、まだ31歳の新進指揮者マーラーは、ハンブルク市立劇場の指揮者としてチャイコフスキーの歌劇「エフゲニーオネーギン」(ドイツ語版)を指揮する。元々はチャイコフスキーが指揮するはずだったのだが、ドイツ語上演と言うことで自信がなく、マーラーが代わりを務めたものらしい。ハンブルクを訪れてこの上演を見たチャイコフスキーは「よかった…どころではなく天才的(な指揮)だった」と絶賛。この20歳年上の大先輩作曲家と、まだ作曲家としては無名の新進指揮者マーラーは、きわめて友好的な間柄になる。

ところが、翌1893年10月、新作交響曲(悲愴)を初演した直後チャイコフスキーは急死。翌月の追悼コンサートでマーラーは「エフゲニーオネーギン」の抜粋とともに幻想序曲「ロメオとジュリエット」を指揮し、この巨匠への哀悼の意を表することになる。

その頃、マーラーが作曲していたのは〈葬礼〉と題された交響詩。しかし、翌1894年、チャイコフスキーに続いて先輩指揮者ハンス・フォン・ビューローが死去。その葬儀で流れた「復活」の朗詠を聴いたことから、〈葬礼〉を第1楽章に、そして〈復活〉を終楽章にした新しい交響曲(第2番)は完成に向かって歩み始める。

Resurrection
ちなみに、題材となったクロプシュトックの詩「復活」(よみがえる。そう、おまえはよみがえるのだ)は出だしの弱音で歌われるコーラス部分のみ。アルトが「信じるのだ。おまえが憧れたもの、愛したもの、争ったものは全てお前のものだ」と歌い出してから後は全部マーラーの創作らしい。

キリスト教の「復活」の概念は信者以外には良く分からない点も多いが、マーラーの復活頌はちょっとニュアンスが違う。「生まれたモノは必ず死ぬ。そして死んだモノは再び必ずよみがえる」だから「生きるために死のう」そうすることで「おまえはよみがえるだろう」。そう歌われると、木や花が冬に枯れて春に再び命を咲かせるようなヴィジョンが頭に浮かび、意外と東洋的な死生観のようにも思えてくる。この曲が日本で人気が高いのはそのあたりが心の琴線に触れるからなのかも知れない。

2017年9月18日 (月)

マリンバ協奏曲@リダクション版

Mbconp夏中かかったマリンバ協奏曲〈バードリズミクス〉リダクション版ようやく仕上がる。

2010年に三村奈々恵さんのために作曲。飯森範親指揮京都交響楽団で初演。2014年CD発売(COCQ-85061)。今回のリダクション版は、ピアノ伴奏にパーカッション(bongo, conga ほかアフリカの太鼓など自由に)付きという変則形で作成 。

スコア69p、マリンバ・パート譜21p、パーカッション・パート譜13p。オリジナル・オーケストラ版(既発売)と共に、ASKS.orchより供給の予定。

2017年8月31日 (木)

続・遠くからの3つの歌

20171202 長谷川陽子さんの委嘱による〈遠くからの3つの歌〉ようやく仕上がる。「これは絶対チェロに合う!というメロディを3つか4つピアノ伴奏用にアレンジしてください」…という注文だったので、聖歌:カッチーニのアヴェマリア、賛美歌:アメイジング・グレイス、唱歌:ふるさと…の3曲を選んだ。

 舘野泉さんのために左手ピアノ版も書いた《カッチーニのアヴェマリア》は、イタリアのルネサンス・バロック期の作曲家カッチーニの作……ではなく、実は旧ソヴィエトのギタリスト兼作曲家ウラディミール・ヴァヴィロフ(1925~73)が書いたいわゆる偽作。8小節の循環コード(Gm/Cm/F/B♭、E♭/Cm/A/D7) を延々繰り返す伴奏に乗って、「Ave Maria」という歌詞を繰り返し歌うだけ…の曲なのだが、なぜか目頭が熱くなる不思議な情感を醸し出す。
 元々は1970年頃〈ルネサンス期のリュート音楽〉というアルバムの中に「16世紀の作曲家不詳のアヴェマリア」として録音し発表した小品らしい。自作では聴いてくれそうもないので有名作曲家の秘曲として発表する、というのは名演奏家クライスラーもやっていて、ちょっとした「遊び」だったのだろうが、ここまで有名になるとは想定外だった違いない。この曲の場合は、ソヴィエト共産主義政権下かつ現代音楽の時代という背景もあったのだろうか。作者の死後オルガン伴奏の編曲が施され、ソ連が崩壊した90年代(1994年)になってイネッサ・ガランテが「カッチーニ作」というクレジットで録音、一気に世界中に広まった。
 そんなわけで厳密に言うと著作権が存在する曲と言うことになるが、本人が「作曲家不詳」として発表し、以後の表記も「カッチーニ作」のため、現状では著作権切れ楽曲扱いになっている。ただ、正確には〈ヴァヴィロフ作曲「カッチーニのアヴェマリア」〉なので、そう表記する日も来るかも知れない。ヴァヴィロフ氏は貧窮無名のまま若くして亡くなったそうだが、名は残さず曲を残したという点では、作曲家冥利に尽きる顛末と言えなくもない。

Songs 賛美歌として有名な《アメイジング・グレイス》は、18世紀にイギリスの牧師ジョン・ニュートン(1725~1807)によって書かれた「Amazing Grace」という詞に、半世紀くらい後になって作曲者不詳のメロディが付けられ愛唱されるようになった…という不思議な経緯で生まれた曲。
 ニュートン牧師は若いころ奴隷貿易に関わっていたが、船で遭難しかけて命拾いし、それ以後悔い改めて敬虔なクリスチャンになった人なのらしい。その「信仰によって救われた」と歌うことばが奴隷解放の動きが起こりつつあった時代のアメリカで白人・黒人・ネイティヴアメリカンなど多くの人々の共感を得たようだ。
 1779年に出版されたこの詞は、アメリカのあちこちで色々なメロディを付けて歌われるようになり、1930年代に今のメロディの原形(元は別の歌詞で歌われていたものらしい)と出会ったと言われる。要するに、詞と曲は全く別々の処で生まれ、半世紀の時を経て不思議な縁で邂逅したようなのだ。
 どこかの民謡が元になっているのか、無名の誰かが作曲したのか、あるいは自然発生的に生まれたものなのかは分からない。5音階(いわゆるペンタトニック)のメロディで、完全五度の持続音(ドローン)を鳴らしたままの伴奏が可能なので、スコットランドあたりからの移民によってバグパイプ伴奏で歌われ始めたもののようにも思われる。
 そのあたりも含め、黒人霊歌とは違う白人系のルーツを感じるが、そんな生まれ方をしたせいか、どこか形の定まらない(どれが正調なのか不明な)不安定な旋律でもある。しかし、ちゃんと作曲されていないことが、逆に、様々な歌い方を可能にし、表現の幅を広げ、様々な人種の人々の共感を得られる要因になっているとも言える。ゴスペル風・賛美歌風・民族音楽風と色々な味付けで感情の起伏と哀感が変化し増幅される、タイトル通り「驚くべき(Amazing)恵み(Grace)」によって生まれた曲と言えそうだ。

Semis そして最後の《ふるさと》は、文部省唱歌として日本人なら知らない人が居ないほどの有名な歌。大正時代(1914年)、国が編纂した音楽の教科書に載せる歌として合議で作られたため、長らく作詞作曲者不詳とされていた(おそらく教科書の共同執筆者のような感覚だったのだろう)。高野辰之作詞・岡野貞一作曲と表記されるようになったのは90年代以降なのだそうだ。(ちなみにこのコンビによる唱歌には「春が来た」「春の小川」「おぼろ月夜」「もみじ」「日の丸の歌」などがある)
 子供の頃の故郷を懐かしむ(基本的には)のどかな曲だが、東日本大震災直後のチャリティコンサートで(出演者全員で演奏し歌えるようにと頼まれて)アレンジした時、ちょっとしたショックを受けた。災害のことを重ねると歌詞の聞こえ方が全く違うのだ。
 例えば、津波の災禍でまだ大勢の人たちが行方不明になっている中での「如何にいます父母」、原発事故によって自分の家にいつ帰れるか分からない人たちが大勢いる状況での「志を果たして、いつの日にか帰らん」。そして、大地や海が放射能汚染され悲しみに暮れている状態での「山は青きふるさと、水は清きふるさと」。いずれも、当時は歌うに忍びない(実際、涙で歌えなかった)ということで自主規制となり、演奏されない幻のスコアとなってしまった。
 曲は(日本的な旋法やヨナ抜き音階でなく)普通の長調のドレミファで出来ているのだが、なぜか日本風の空気感と郷愁を感じる。今までこの曲を口ずさんできた数多くの人々の思いが曲に全て堆積され層になっているかのような不思議な曲である。

 今回の3つの歌に「遠くからの」と付したのは、この「ふるさと」に因るものが大きいが、いずれも「遠くから」聞こえてきて「遠くに」消えてゆく形のアレンジを施したことも理由のひとつ。そして編曲をし終わってみると、いずれも「もはや存在しないもの」を思う「遠くからの」眼差しが感じられる歌であることにも気付かされた。その慈愛に満ちた深みある歌こそが「チェロに合う」のは言うまでもない(と思う)。

 曲は12月の長谷川陽子さんデビュー30周年記念リサイタルで披露の予定。

2017年8月21日 (月)

雑種の美学

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FM「ブラボー!オーケストラ」の収録にNHK504スタジオへ。

9月3日(日)放送分は、リスト:交響詩「レ・プレリュード」、ピアノ協奏曲第1番(p:阪田知樹)。渡邊一正指揮東京フィル。6月14日第110回オペラシティ定期より。+バーンスタイン:ウエストサイド物語セレクション(J.メイソン編)原田慶太楼指揮@第70回午後のコンサートより。

そして10月1日(日)放送分は、ドヴォルザーク:交響曲第9番〈新世界から〉@小林研一郎指揮東京フィル。2月4日第59回響の森クラシックシリーズより。+ブラームス:ハンガリー舞曲第1番・第5番。指揮:尾高忠明。2016年7月4日第1回平日の午後のコンサートより。

リストは、東欧ハンガリーから音楽の都ウィーンやパリに出て来て(ポーランド出身のショパンと共に外国人ゆえのハンデと戦いつつ)ピアノの超絶技巧派としてロックスター並みの人気を得たうえ作曲や指揮から後進の育成まで全人的な活動を果たした巨匠。一方のドヴォルザークは、東欧チェコから新世界アメリカに渡って黒人霊歌やネイティヴアメリカンの音楽に接しながら故国ボヘミアへの郷愁を交響曲(新世界から)に刻んだ庶民派の巨匠。

共に中央楽壇から見れば「異端」かつ「雑種」の存在だが、生物も音楽も雑種(ハイブリッド)の方が強い(そして生き残る能力に長けている)。個人的にも、正統派とか主流にはサッパリ興味を感じないが、雑種(西洋と東洋のちゃんぽんとかロックとクラシックの盛り合わせとか)や異端と聞くとわくわくする。自分自身が、雑種・独学の野良犬あがりのせいもあるのだろうか。

ただ、それゆえ逆に、ピュアで儚い純粋種に憧れるところも少し。昔、師匠(松村禎三氏)が「究極のマリア像を造って、誰の目にも触れない暗闇の洞窟の奥に置く」と言っていたが、誰にも聞かせず、ただ神に聴かせるためだけに存在する音楽もある。その頃は、そんな意識がなくても誰も聴いてくれないどころか演奏もしてくれなかったから、「自分の楽譜棚にはそういうマリア像が佃煮にするほどあるけどなぁ」と思ったものだが(笑)。

誰一人聴いていないが神だけは聴いている。百万人が聴いているが神は聴いていない。サテどちらがいい?…とその時は言われたが、神も人も誰もまったく聴いていない…というのもあるわけで(泣。まぁ、ピュアな雑種がいてもいいじゃないか、と。

2017年8月 4日 (金)

遠くからの3つの歌

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この夏のもうひとつの宿題が、チェロの長谷川陽子さんからの委嘱による新作だ。

ただし書き下ろしの新曲というわけではなく、「武満(徹)さんがギターのために書いた〈12の歌〉のように、自分が大好きな古今名曲のメロディをアレンジして花束にしたような組曲を」という御注文。幾つかの候補曲の中から3曲(聖歌/賛美歌/唱歌)を選んでチェロとピアノ版にアレンジすることになった。舘野泉さんのために書いた〈3つの聖歌(シューベルト/カッチーニ/シベリウス〉と同じ趣向の姉妹作である。

ちなみに長谷川陽子さんとは、大河ドラマ「平清盛」の紀行の音楽(夢詠み)を二十絃の吉村七重さんとのデュオで演奏してくださって以来のお仕事。今回の編曲集を〈遠くからの3つの歌〉と題したのは、その時のお二人の…彼方から聞こえる微かな歌を口寄せしてこの世に降臨させる巫女…というようなイメージがあったせいかも知れない。

曲はこの秋に開かれる長谷川陽子さんデビュー30周年リサイタルで披露される予定。

2017年8月 1日 (火)

マリンバ協奏曲の夏

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ここ一月ほど、夏の暑さで意識朦朧となりつつ、マリンバ協奏曲〈バードリズミクス〉のピアノリダクション版を制作中。

原曲のオーケストラ版はラテンパーカッションのリズムの饗宴が前面に出ていて「ピアノ伴奏だけではちょっと無理」な仕様。しかし、委嘱&初演者の三村奈々恵さんの「パーカッション付きでもいいじゃないですか」の一言で、ピアノ&パーカッション伴奏という変則形で仕上げることにした。

ちなみに、この曲を書いた2010年の夏は、「観測史上もっとも暑い夏」と言われた記録的猛暑。ある意味ではその暑さのおかげで頭がアフリカになって生まれた曲(実際「ジャングル大帝」を思い出しました…と言われたことがある)かも知れない。

あれから7年たち、最近の夏は……何だかもはや地球でない違った惑星に立っているような気がするほどだ。そして、その惑星に音楽は…もう聞こえない。

2017年7月 3日 (月)

ルーセル・ビゼー&ショパン

BizetchopinrousselFM「ブラボー!オーケストラ」7月分2本の収録にNHK401スタジオへ。

今回は、紀尾井ホール室内管弦楽団(旧:紀尾井シンフォニエッタ)の第107回定期(2017年6月30日@紀尾井ホール)を2回に分けて放送。指揮:ジョン・ネルソン。

7月9日(日)は、ルーセル「蜘蛛の饗宴」、ビゼー:交響曲ハ長調。
7月16日(日)は、ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調(p:小菅優)。アンコール:夜想曲嬰ハ短調ほか。

ビゼーは17歳で最初の交響曲を書き、25歳でオペラ作曲家への道を踏み出すも、オペラ「カルメン」初演失敗の失意の中36歳で死去。
ショパンは20歳で2つの傑作ピアノ協奏曲を書いて祖国を離れ、演奏家&作曲家として活躍するもウィーン、パリ、マヨルカ島と転々としたあと病に倒れ39歳で死去。
ルーセルは二十代を海軍のフリゲート艦勤務で過ごし、25歳で退役した後音楽の勉強を始め37歳で最初の交響曲を作曲、第一次世界大戦に従軍するも生き延びて、戦後はノルマンディで悠々自適の作曲生活を過ごし68歳で死去。…人生いろいろだ。

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