交響曲第1番(カムイチカプ交響曲)と交響曲第2番〈地球(テラ)にて〉の新しいスコア届く。@全音楽譜出版社。
第1番op.40(1990)は、1992年に出版されたものの再版。今年の9月25日(日)原田慶太楼指揮東京交響楽団(ミューザ川崎)により・チカプ・チェロ協奏曲〈ケンタウルス・ユニット〉と共に再演予定。(CD:Camerata Tokyo、Chandos)
第2番op.43は、Scherzoを加えた全4楽章の完全版(1991/2002)。昨年8月9日にフェスタサマーミューザで原田慶太楼指揮東京交響楽団により再演されたほか・今年7月2日にはアンサンブル〈ヴェネラ〉で取り上げられ、昨年夏の東京オリンピック開会式でも使用された。(CD:Camerata Tokyo、Chandos。ただし初演時の3楽章版。完全版は未録音)
30年以上前(1991年)に書いた作品を再版することになり、確認と修正のため久しぶりにスコアを開き「過去の亡霊(?)」と向き合うことになった。
楽譜はもちろん全編アナログの手書き。当時は(当然ながら)メールも携帯電話もなく、曲の依頼や打合せは全て「黒電話」。スコアは(巨大なので簡単にコピーや郵送が出来ず)直接写譜屋さんやオーケストラに出向いて行き手渡ししていた記憶が蘇る。(今はPDFにしてメール添付で一瞬だ)
当時は「バブル景気」の時代だったそうだが、個人的には人生で一番貧乏な時期で実感は微塵もない。それでも90年91年と交響曲を書いて演奏されているのだから、一応はおこぼれにあずかったと言うことなのかも知れない。
ただし現代音楽全盛の時代は続いていて、この時書いたジャーンと協和音で終わる交響曲は先輩作曲家たちから「気でも違ったのか!」と大顰蹙を買い(と同時に完全無視され)、以後ほぼ村八分になった。
映画やテレビやラジオでは(BGMとして)現代音楽サウンドが聞こえてくることも少なくなかったが、時代の空気に合っていてそれはそれで結構好きだった。一方でゲーム音楽はまだピコピコ音の域を出ていない黎明期。それが30年経って一大音楽シーンを形成することになるとは…誰が想像しただろう。
サテ、30年後はどんな「驚きの」時代になるのかしらん。(イヤ、もちろん私はもう生きていないだろうけれど)
8月9日(月休)にフェスタサマーミューザKAWASAKI最終日で演奏される交響曲第2番〈地球にて〉のリハーサル初日に立ち会う。
この曲を書いたのは37/8歳頃(30年前)。現代音楽界の新作なのに番号付きの交響曲で楽章があって最後がジャーンと協和音で終わるというのは異例中の異例で、聴衆は喜んでくれたものの専門家筋からは「気でも違ったのか?」と総スカンだった(笑。そのおかげで現代音楽界を見限り(見限られ)離反した思い出の曲でもある。
その頃感じた「人間も音楽のように、大気から生まれ大気に消えてしまう存在だったらいいのに」という思いは今も同じだが、地球上の東西南北4つの文明の素材を集めて鎮魂曲に仕立てるという趣向は、確かに今回のオリンピックに相応しい気もしてくる。死をひたすら悲しむ鎮魂もあれば、涙を振り切って明るく未来を見据える鎮魂もある。死への思いは生への思いを投影する。
それにしても、自分の書いた曲ながら若い頃の熱い(というよりゴチャゴチャと書き込む)筆致にはひたすら圧倒される。こういう…フルサイズの交響曲は・演奏するのも・書くのも・創るのも・やはり体力(生命力)あってのものだな、としみじみ痛感する。
写真は、指揮者:原田慶太楼氏(左)・東京交響楽団コンサートマスター:水谷晃氏(右)と。・・・若い(笑
4月23/24日〈朱鷺によせる哀歌〉
尾高忠明指揮大阪フィル@大阪
5月8日〈サイバーバード協奏曲〉
sax:上野耕平/名古屋国際音楽祭ガラ・コンサート
5月15日:マリンバ協奏曲〈バードリズミクス〉
mb:三村奈々恵/日本センチュリー交響楽団@大阪
5月29日:〈アトムハーツクラブ組曲〉
原田慶太楼指揮オーケストラアンサンブル金沢
8月9日:交響曲第2番〈地球にて〉(4楽章完全版)
原田慶太楼指揮新日本フィル
・・・と、大阪、名古屋、金沢、東京での拙作演奏のお知らせが届く。
ここ数年すっかり音楽から離れた生活なので、長らく顔を見ていない息子や娘からの元気な便りを伝え聞くようで懐かしい。長女〈朱鷺〉は41歳、次男〈大地〉が30歳〈電鳥〉は27歳、一番若い〈木鳥〉が11歳。・・・歳を取るわけだ(笑
3月7日(日)放送分は、ドヴォルザーク「謝肉祭」と「チェロ協奏曲ロ短調」(vc:佐藤晴真)。
3月21日(日)放送分は「交響曲第9番〈新世界から〉」。
いずれも演奏は渡邊一正指揮東京フィル(2021年2月14日@和光市民文化センター/サンアゼリア大ホールにて行われた番組の公開録音コンサートより)。
・・・と、これにて私の解説担当分は終了。2012年に始まった「ブラボーオーケストラ」の枠で9年、その前の「オーケストラの夕べ」(2008)「FMシンフォニーコンサート」(2003)から数えると18年、初仕事の「新譜情報」(1996)からは25年…という長きにわたりFMで(ほぼ毎週)ボソボソと解説してきたわけだが、晴れて卒業ということに。(ちなみに、番組自体は新年度から柴辻純子さんに引き継がれて続きます)
思えば、大河ドラマを担当したあと60歳で還暦コンサートをやってもらって「定年退職」し、そのあと唯一続けてきたのがこのFM解説の仕事だったのだが…(以前は2時間枠でも3時間枠でも平気で喋っていたが、最近はさすがに1時間でもくたびれるようになってきて、処理スピードと記憶容量の低下は如何ともしがたい)。というわけで、これからは年金と印税で細々と食いつなぎながら、猫を膝にひきこもり隠居暮らしを楽しもうかと…(笑)。そう言えば今日は猫の日(2/22)
今回は2月14日(日)放送分で、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第1組曲・第2組曲、ストラヴィンスキー組曲「火の鳥」(1919年版)。バッティストーニ指揮東京フィル。(2021年1月22日第946回サントリー定期より)
2曲とも原曲はディアギレフ率いるロシアバレエ団(バレエ・リュス)が生み落としたバレエ作品だが、このセルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)という人物、ペテルブルクの裕福な家に生まれ一般大学の法科で学びつつR=コルサコフに作曲を学んでいたそうで…どこかで聞いたことがあると思ったら10歳年下のストラヴィンスキーと同じ経歴だ。ただ、彼の方は才能に限界を感じて大学卒業後に作曲は諦め、親の遺産を元手にまず美術品のコレクターを始め、やがてパリを拠点にロシア文化を西欧に紹介する展覧会や音楽界を開く興行主となってゆく。
そして、その延長線上にロシアバレエ団を設立。同門の後輩でもあるまだ無名のストラヴィンスキーに「火の鳥」を書かせ、それが大成功したことから一躍音楽界屈指の名プロデューサーとして名を馳せることになる。以後ラヴェル・ドビュッシー・ファリャ・プロコフィエフ・サティ・プーランクら当時の若手中堅どころに次々と新作バレエを書かせ、パヴロワ・フォーキン・ニジンスキーらが踊り振付けし、ピカソ・マチス・ミロ・ローランサンらが舞台美術を手がけ、話題を一身に集めながらロンドン・ローマ・ウィーンからアメリカ各地まで公演しているのだから凄い。
なんだか(写真で見る風貌も含めて)キングコングを連れてきてニューヨークで興行したカール・デナムのような…どこか山師的な怪しげな処もないではないが(笑)、もし彼がいなかったら「3大バレエ」も「ダフニス」もなかったのだから、20世紀音楽の道筋を決定した重要人物であることは確か。
中国の故事で名馬を見出す慧眼を持った人物を「伯楽」と言うが、秀吉や光秀を見出した信長しかり、矢吹ジョーを見出した丹下段平しかり、タモリを見出した山下洋輔・赤塚不二夫しかり、見出される側もそういう人物と出会うか出会わないか・いつどういう形で出会うか、で生涯を大きく左右されるわけで、運命の女神であると同時に人の運命を玩ぶ悪魔メフィストのような側面もあるような気がする。
ちなみに、彼らは(私自身も何人か心当たりがあるのだが)特別な嗅覚と共に普通の人とはちょっと違う嗜好を持っていることが多く、そのせいか見出された側がそのあと純粋に恩人として神のように感謝するかというと…ちょっと微妙と言えなくもない。…それが悪魔の悪魔である所以なのだが(笑。
ちなみに当番組の私の担当はこの3月まで。長年のご愛顧に感謝。
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