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    ・NHK-FM 毎週日曜日19:20~20:20放送。毎月第1-2日曜日(+α)東京枠解説担当。
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2019年8月15日 (木)

真夏の徘徊

Hotelps過酷な現実から逃れて時々都内のホテルに涼みに行く。ここ数年夏休みどころか泊まりがけの旅行すらほぼ不可能な生活なので、もっぱら昼間だけ3-4時間ほど滞在する「デイユース」である。

行き付けの場所が特にあるわけではなく、ホテルの予約サイトで毎回違う処(安くて家から30分以内)を探して徘徊する。大きなホテルの広い部屋が運良く割安で借りられることもあるが、ビジネスホテルのシングルも狭いぶん冷房はすぐ効くし大きなテレビが付いていることもあってなかなか快適だ。

若い人ならレストランのビュッフェとかプールで夏のホテルを満喫するところだろうが、つらい現実の疲れを癒すには冷房が効いた部屋のふかふかベッドで束の間身体を休めるのが一番。部屋から一歩も出ず珈琲を飲みながらiPadで本など読みつつ4時間ほどの短い短い夏休みを堪能し、夕方チェックアウトして再び現実に帰還する。21世紀の新しい徘徊老人スタイル?…のような気もしないでもない。

2019年8月 8日 (木)

3500円の歪んだ神話

Img_3797 貧乏作曲家をやっていた20代半ば(40年前!)、アジアの隣国から日本に音楽を勉強に来ている留学生が身近に何人か居た。コンサートの後、数名で居酒屋で食事をし、最後に「お勘定は割り勘で一人3500円」ということになったのだが、そこで顔面蒼白になったのが隣国から来た作曲学生のB氏だ。「私の国では3500円あれば一家四人がひと月食べられます」と言うので、「じゃあB君の分はみんなで出そう」とみんなでカンパ(もう死語だが、寄付を募ること)する事になった。(ちなみに私も、一晩の食事に千円札数枚を払うなど生まれて初めての経験!という貧乏時代。同じく顔面蒼白になったのでしっかり記憶している)

・・・のだが、当の彼にとってこの出来事は「日本人が親切にしてくれた」という思い出ではなく、「日本で嫌な思いをした」という記憶として残っていると風の噂で知った。日本に音楽を勉強に来るくらいだからその国では恵まれた家庭に育ったはずの彼からすれば、食事の代金を支払うことができずに恵んでもらった…というのはプライドを傷付けられ、親にも先生にも言えない屈辱的な話。彼の中ではいわゆる黒歴史として屈折したまま蓄積されていたようだ。

なけなしのお金をはたいて友好関係を築いたと思ったら、相手はそれを感謝するのではなく逆に恨みを募らせていた、というのはどこかで聞いた話すぎて複雑な気持ちになるのだが、当人はさすがに心の底から感謝の念がゼロだとは思わない。しかし、その話を漏れ聞いた子供や知人たちが恨みの部分だけを歪めたまま肥大させて「謝れ」と言い出したら、一体何に謝ったらいいのかポカンとする「A」と、悪い事をしたのに謝らないとひたすら非難する「B」の構図が出来上がる。

何だか知らないが謝っておけばいいよ、減るもんでなし。と言って「ごめん」した先輩も居たが、本心から悪いと思って謝っていない、と言われればその通りなので、謝ったところで恨みが解消する気配はない。何しろ悪かったと思っていない(そもそも何が悪いか分からない)のだから、などと本音を言うと話は余計こじれて収集がつかなくなる。こうなるともう歪んだ神話を修正するのは不可能に近い。そんな昔話はすっかり忘れて奢られ合う新しい世代が台頭するのを待つしかないのかも知れない。

…などと書いている私自身が、水と枝豆数粒で3500円払ったその時のことをこうして40年経った今でも鮮明に覚えているわけだから、恨みに根付いた記憶は怖い(笑)

2019年7月31日 (水)

地球の夏・絶滅の夢

Skyblue夏というのは、こんなに暑かっただろうか、と青空を見上げながらしみじみ思う…。地球が人間の絶滅を思い立って煮沸消毒を始めたのかも知れない?と感じるほどだ。

そんな絶滅の夢?を目前にして、最近「AI(人工知性)にも性(オス・メス)が必要なのでは」…という面白い話を漏れ聞いた。単に男女の属性/形状を持ったロボットということではなく、全体が残れば個は滅びてもいい…という(論理的整合性が最重要の)オス回路と、個が残れば全体は滅びても良い…という(個の保存が最優先の)メス回路。当然、どちらも理があるため、矛盾しケンカして訣別する。しかし、そうすることでこそ新しい環境で生存できる可能性が生まれる(どちらか一方の意見に従った場合、それが外れたらゲームは終了してしまう)という。

なるほど。確かに、単体による生殖だと何らかの不備(環境の変化・寄生生物・疫病など)があったとき全個体が一気に死滅してしまう。違った体質と性格と思考をもった個体が複数あることでそうした絶滅を回避できる可能性がある。それが、地球上の生物の多くが有性生殖である理由…というのは昔から言われてきたことだが、サテ、AIにオス・メスを作り、ハートと下半身を付け、それが恋愛したりケンカしたりし出すと世界はどうなるのだろう?。もっと熱くなるのだろうか?

余談だが、最近(7月25日)直径130mほどの小惑星2019OKが…天文学者も知らない間に…地球のすぐ近く7万2千キロほどの処を横切っていたそうで、絶滅の危機は遠い未来の夢とも言い切れない。ちなみに、この件で小惑星の接近を察知できなかった天文台の所長が責任を取って辞職し、これが本当の隕石辞任…というジョークは昔どこかで聞いたことが…(笑

2019年7月17日 (水)

祇園祭の一角獣

Gionu今年も京都で祇園祭の山鉾巡行が始まった。

祇園祭には、男たちが神輿をかついで夜中の街を疾走する神幸祭や、複雑なのかシンプルなのか分からないコンチキチンのお囃子などなど、不思議なアイテムが色々あるのだが、もともとが疫病災厄よけの呪術的な意味合いから千年以上昔に始まった祭。今となっては「どうしてこんな風にするのか実は良く分からない」という事も少なくないのだそうだ。

ちなみに、私も30年ほど前(1988年)京都市交響楽団から「京都をイメージした作品」と云う委嘱を受けて京都を訪れたとき興味をひかれたのが、山鉾巡行の先頭を行く長刀鉾の正面水引幕に描かれた「五彩雲麒麟の図」。「麒麟(東洋の一角獣)」を先頭にして20基以上の山鉾が市内を結界の回路図を描くように練り歩く…という「なぜ?」に興味津々となった。

…のだが「なんで一角獣なんですか?」と京都の人に聞いても「さあ」と微笑むばかり。「こりゃ面白い」と書きかけのファゴット協奏曲のタイトルを〈一角獣回路〉とした次第(笑。…もうひとつ、「馬」(独奏者が馬込勇さん)が、一本のツノ(ファゴット)を持っているから…という意味も兼ねているのだが、30年ほどたった今となっては「どうしてそんなヘンなタイトルにしたのか良く分からない」と笑われそうだ。

2019年7月 1日 (月)

昔の日記考

Niikiちょっと確認したいことがあって昔の日記を整理する。

高校にあがった頃(1968年)からもそもそと大学ノートに書き残したものが十数冊ほど。パソコンを導入した1980年代後半あたりからは日記ソフトとか原稿ソフトに書き付けているので、結構記録は残っている。ただし、パソコン上のデータは形式(Format)がころころ変わるので、現在ではもう開けないモノも少なくない(特にMacではOSが8や9に替わった前後が壊滅的だ)。デジタルの時代でも普遍的なのは紙に筆記するアナログの方…という意見は一理ある気がする。

それにしても、十代の頃の日記というのは…ひとことで言って「恥ずかしい」。何かを思い立ってドヤ顔で書いてあることほど、今読むと「これが他人様の目に触れるくらいなら死んだ方がマシ」的なモノが多い(笑)。

いや、それでも紙に書いたアナログ媒体は、死ぬ前に燃えるゴミに出せば証拠隠滅を図れるからまだいい。昨今の若い人たちは、この手のモノをブログだのTwitterだのSNSで日々発信してるわけだが、これは(良くも悪くも)半永久的にネットの中を漂流し(下手をすると増殖して)消えることが無い。若い頃の青臭い発言や行動が50年経ってもネットに漂流していたら…というのは考えるだに怖ろしい。うーん、紙でよかった。さっさと燃してしまおう(笑)

2019年6月12日 (水)

ドファ問題

Name最近、日本の名前の英語表記を「姓・名」の順にしようという動きが始まった(らしい)。

むかしは、「名・姓」と逆に綴る方が国際的で格好いい…と単純に思っていたが、現実に海外で仕事をするようになると(HondaとかToyotaなどという有名な名前以外は)「どっちが姓でどっちが名前?」と聞かれることが少なくない。なにしろ「名」は「First name」で「姓」は「Last name」なのだ。後の方がファーストで前がラスト…と説明すればするほどややこしい。なので、署名などでは姓の方を大文字で書くようにしていた。

ただ、発音する場合は区別の付けようもなく、海外での表記はCDでも楽譜でも記事でも全て「名・姓」の順。それに逆らって敢えて「姓・名」にこだわるとますます「どっちがFirst nameですか?」の問いが多くなると言うジレンマ。そのせいか、自分の自筆楽譜の表記も「名・姓」だったり、「姓・名」だったりまちまちで一貫性がない(笑

音楽の世界では、バルトーク・ベラやコダーイ・ゾルタンなどハンガリーの作曲家が日本と同じ「姓・名」の順。中国も日本と同じ(毛沢東はMao Zedong)だが、音楽家などは海外で活躍する人が多いので、どちらが姓なのか(ヨーヨー・マやラン・ランなど)迷うことも少なくない。なので、統一してくれると有り難いは有り難いが、過去の文献や記事や出版物まで全て…というのは無理だろうから、つまるところ「どっちがFirst nameですか?問題」(略して「ドファ問題」)が無くなることは当分無さそうだ。

2019年5月10日 (金)

老馬の休日

Kioi 世間の連休が終わった頃、ようやくひと休み。世間様とはとことん生活パターンがズレていることを実感しつつ近場の緑を求めて徘徊する。

六十過ぎても八十過ぎても「休みなし」で元気で現役…という人は凄いと思うが、個人的には還暦過ぎたら縁側でネコ抱いて日向ぼっこ…がいいという主義。そもそも世界は本来三十代くらいの人たちが動かすべきなのだ。それを過ぎて「まだまだ若いモンには負けない」と思った瞬間から「老い」は始まる(ような気がする)。

あとは若い人たちに任せよう。絶滅するのも・霊長類の座をAIに譲りわたすのも・地球を捨てて宇宙に出るのも…

2019年4月30日 (火)

平成最後の日

Diary 平成最後の日に、昭和最後の日(1989年1月7日)の日記を読む。

1月7日(土)くもり 6:33天皇陛下崩御。昭和最後の日となり明日から平成元年。

TVすべて追悼番組となり、CMもなし。FM、ラジオもクラシックのみ。巨大な大晦日のようだ。

1月8日(日)雨のちくもり。平成元年になる。静かな一日。

>そうそう。平成は「急に」なったのだった。昭和天皇の病気で半年ほど「自粛」の暗い雰囲気が日本中を包んだ後、正月明けの7日早朝に「崩御」の報。14時すぎにいきなり「平成」と発表された。当時の私は絵に描いたような貧乏作曲家(笑)で、狭い1Kのアパートを借りて、小さな電気ピアノで最初の交響曲を書き始めていた頃。崩御の前後に、暗く悲しい曲調なのが気に入られてか拙作〈朱鷺によせる哀歌〉が放送で時々流れていた(そう言えばその数ヶ月ほど前に…アナタの曲を含めて暗いクラシック/現代曲を「特別放送」用に何曲か録音するが「ご内密に」…というような話があった)ような気がする。

今なら色々な情報がネット上を飛び交うところだが、当時はネットもなければブログもなく、ようやく「パソコン通信」というテキストだけのデータ通信サービスが始まった頃。携帯電話などもちろんない(あっても冗談みたいに大きな箱形だった)。その2年ほど前(87年)に本格的にパソコン(macintosh plus)を導入し、細々と原稿を書くようになったものの、印刷はモノクロでぎざぎざのドットプリンターで、やり取りはFAX。打ち込みのMIDI音源で簡単なサンプル曲は作れるようになったものの、PCでオーケストラ曲を作曲したりスコアを書くことはまだまだ夢の夢。当然ながらスコアも日記も「手書き」で書いていた!(全面的にデジタル化したのは10年後の1997年から)。そんな時代だった。

…などと列挙して行くと、30年前のことながら微妙に「原始時代」っぽい感じがする(笑)。ほんの昨日のような…遠い遠い遙か昔のような…不思議な記憶である。(そして今日のことも、多くの人々の「プライベートな記憶」として後世に脈々と伝えられてゆくのだろう。子や孫の世代に「古〜い」と言われながら)

2019年4月28日 (日)

連休@渋谷

Shibuya渋谷で物凄い人の群に巻き込まれ、身動き出来なくなる。

連休…ということもあって人出が多いのに加えて、何やらパレード(東京レインボープライド2019)にぶつかったのらしい。

それにしても日本の風景も随分変わった。根が昭和の人間(バブルの恩恵を全く受けなかった貧乏バブル世代)なので、平成も21世紀もピンと来なかったのだが、今度は令和。あれからずっと異界に迷い込んでいる気がする。

2019年4月 9日 (火)

人生短し 襷に長し

Flowerf甥の一周忌で藤沢へ。

25年前に亡くなった妹と同じく
三十代という若さでの死。

人生は大体「短すぎる」か「長すぎる」もので、
「ちょうどいい」長さに恵まれることは難しい。

それにしても妹と甥は「短すぎる」。
そして私は……「長すぎる」(笑

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