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2021年7月 9日 (金)

孤独のグルメの孤独

Kodokuno_20210709091301最近ひきこもり孤食しながらPrimeVideoの配信で見ているのが「孤独のグルメ」という番組。

中年男性が仕事の合間にあちこちの街で独り食事をするというだけの30/40分枠のセミドキュメンタリードラマ…なのだが、登場するお店はいわゆる有名店や高級店ではなく商店街などにある普通の庶民的な食べ物屋。和食・中華・各種民族料理からカフェ・スイーツまで好き嫌いなく「お腹が空いた」と行き当たりばったりに店に入ってメニューを隅から隅まで眺め色々と料理を頼んでは「うん、これはいい」とか「やはり米の飯に合う」とか(心の声で)呟きながら独りで次から次へとひたすら食べる。

それだけ……のドラマなのだが、知らない街で知らない店に入り知らない料理を注文する(しかも独りで!)というのは、普通の人にとっては結構ハードルが高い行為。なので、意外とギャンブル性やゲーム性もありグルメ(食通)ドラマとして成立しているような気がする。(実際、2012年に始まって以来今期でシーズン9を迎える長寿人気番組でもある)

主役の松重豊氏の(強面なのにとぼけた味わいの)シャイで寡黙な健啖家ぶりが絶妙だが、原作者の率いるScreenTonesというバンド?のオモチャ箱っぽい音楽も面白い。中でも主人公が「腹が減った」と決めのポーズを取るときのとぼけた「3音」↑が出色。

・追記・9日夜から始まった第9シーズンだが、登場人物がみんなマスクをしていることに(改めて)ショックを受ける。こんなご時世(特に飲食店関係)で仕方ないとは言え・・・ショック(泣

2021年4月26日 (月)

キース・エマーソン Tribute Concert

177314317_4038437606195338_25727422964422016年3月にキース・エマーソンが亡くなってから早くも5年が経つ。その年の5月にロサンジェルスで行われた追悼コンサートについてはYouTubeなどで断片的に見聞きしていたが、この度その全貌が The Official Keith Emerson Tribute Concert《Fanfare for the Uncommon Man》としてDVD化された。

晩年共にバンドを組んでいたマーク・ボニーラ(vo,G)ほかのメンバーを中心に、多くのミュージシャンが結集して「庶民のファンファーレ」「タルカス」「未開人」「ナットロッカー」「悪の教典」「タッチ&ゴー」などなどEL&Pの名作を網羅し、最後に「Are You Ready, Eddy?」で締めくくるというなかなか豪華で洒落たコンサートだ。

714ypuqgtl_ac_sl1200_アルバムタイトルは「庶民のファンファーレ」にちなんで《Uncommon Man(非凡なる男)のためのファンファーレ》だが、ジャケットは「タルカス」!(ヘビーメタルみたいなドスの利いたイラストが凄い)。コンサート後半には全曲が5人編成で演奏されていてなかなか聴き応えがある。
初登場した50年前は超絶難曲だったが、私がオーケストラ版を試みたように、若い世代のミュージシャンたちが「古典(クラシック)」として普通に演奏しているのが感慨深い。

コンサートに当の本人が居ないというのはなんとも悲しいが、こうして新しい演奏で(クラシック音楽のように)後世に伝えられて行くのもある意味では歴史の趨勢なのかも知れない。(ただ、彼の演奏のあの熱気と衝撃は再現しようにも出来ないだろうけれど)

Keithそれにしても、もう5年…。亡くなる3年前(2013年)私の還暦コンサートに来てくれて、一緒にオーケストラ版「タルカス」を聴き、そのあと満員の聴衆の熱狂的な拍手を受けて二人でステージに上がったことが夢のようだ。


2021年4月17日 (土)

黒澤四部作

Kurosawa4大きな仕事がいきなり消えてヒマになったので、昔懐かしの黒澤映画4本「七人の侍」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」をぶっ通しで見る。

黒澤映画は、欧米では古典として映画学校などで普通にビデオ鑑賞できていたのに、当の日本では(版権のせいか)長らく販売されていなかった。私も若い頃、友人が手に入れた海外版のVHSテープ(英語字幕付)を超貴重品として見せて貰った記憶があるが(ちなみに海賊版ではない。念のため)、日本で普通に全作品を見られるようになったのは1990年代くらいからだろうか。以後はVHS・LD・DVDと全集を買い漁り、最新版はiTunesのムービー。いつでも何処でも何度でも見られるのだから凄い時代になったものだ。

個人的に好きなのは、50/60年代の三船敏郎が主役の時代もの。白黒だし画質は荒いが「娯楽」に徹した(とにかく見ていて笑いが絶えない)究極の映画を堪能できる。それに昔の日本人の泥臭くも精悍な顔つきや風景や服装の汚れっぷりもいい。ただ、日本的な時代劇とはかなり違って、世界観は大らかで大陸的だし、三船敏郎演じる武士も禁欲的な「武士道」というよりは「遊びをせんとや生まれけむ」的な自由人(しかも差別主義ゼロのフェミニスト)。金にも女にも名誉にも武道にも興味を示さない彼の行動原理は良く分からないが、そんなことを遥かに超越して格好良くかつ面白い。

音楽としては、「七人の侍」での早坂文雄の仕事が有名だが、「隠し砦の三悪人」と「用心棒」での佐藤勝の色彩的でコミカルな音楽センスもかなり秀逸だ。時代劇なのにテーマはメジャーコードが鳴り響くビッグバンドジャズだったり、細かい断片的なフレーズで俳優の動きのコミカルさを強調したり、チェンバロとチャンチキというとんでもない組み合わせで遊女達の踊りを彩ったり。(そう言えば、昔NYで上演する和製ミュージカルの音楽を頼まれた時、「用心棒の音楽みたいなのを」と言われたことがある)。このセンスは監督の指示だったのかあるいは佐藤氏の考案だったのだろうか。その派手さ大仰さは長身肉食で有名な黒澤監督ならではで、お茶漬けと菜食のつつましい生活からは生まれ得ないようなダイナミズムに溢れている。

もうひとつ興味深いのは脚本で、黒澤監督ひとりで唯我独尊的に仕上げるのではなく、橋本忍や菊島隆三といった仲間達とアイデアを出しあい侃々諤々の議論の末に(いわゆるブレインストーミング的なやり方で)仕上げる共作だったのだそう。絶対逃げられない状況…というのを誰かが思い付き、そこから逃げ出す方法をみんなで考える…というような(ある意味で社会主義的な)共作の形というのは、ベートーヴェン的な個人芸術の形ではなくどこかロックバンド的な(こういうやり方で交響曲が書けないものかと思ったこともある)作り方で、ある意味で理想的な新しい形のような気がしないでもない。

それにしても、4作続けて見てしみじみ感じるのは、三船敏郎という人の凄さ。精悍で凜々しいだけでなく汚れ役もおどけた役も出来、無敵の剣豪として殺気を帯びた眼光を放ちながら子供や女性を相手におどけて笑わせる無害さと人懐っこさも出せる(並び立てるのは勝新太郎くらいだろうか)。黒澤・三船の両者が出会ったということ自体が(ジョンレノンとポールマッカートニーが出会ったような)二十世紀の奇蹟だったのかも知れない。人生や歴史や世界を左右するのは、才能や努力や運より「出会い」だ。改めてそう思う。

2021年4月14日 (水)

デジタルの点と線

Dotslinesfl:江戸誠一郎、Gt:大萩康司両氏による「Dots and Lines」という新譜アルバムが届く。私の「デジタルバード組曲(フルート&ギター版)」のほかJ.カステレード「4月のソナチネ」、ピアソラ「タンゴの歴史」という3曲の組み合わせ。

デジタルバード組曲は、1982年に書いた…もうかれこれ40年近く前(まだ20代!)の作品。発表当時はデジタルという言葉がまだ珍しく(当時はディジタルと書いていた)「ヘンなタイトル」と後ろ指をさされ、無調全盛の現代音楽の時代に#♭が全くない旋法と変拍子だけで書いたので「きみは頭がおかしいのか?」と非難され、初演し録音して貰ったフルーティスト氏には「これは人間が吹ける音楽ではないよ」と説教された記憶が懐かしい(笑)

ピアノ版でも超難しいのに(よりにもよって)ギター版を作ったのは、超絶技巧で一世を風靡した山下和仁氏との出会いから。ギターパートは「指が複雑骨折します!」とか「7本くらい指がないと弾けません」とか言われたものだが、フルート共々こうしてさらさらと弾いてしまう若い世代の演奏家が出て来るのだから時の流れというのは……(感無量)。

2021年2月 8日 (月)

S氏がもしAI作曲家に代作させていたとしたら

Sn-by-aiaarg 書籍『S/N』−S氏がもしAI作曲家に代作させていたとしたら
編・著・発行:人工知能美学芸術研究会人工知能美学芸術研究会 ・・・出版(3月中旬発売予定)のお知らせ

S(佐村河内守)氏のアノ事件からもう7年たつ。クラシック音楽界で起きた事件としては珍しくTVのワイドショーや雑誌の三面記事にまで取り上げられ世間の注目を浴びた面白くも奇妙な出来事だったが、耳が聞こえる聞こえないで詐称した部分・および代作に関する虚偽など「詐欺師」の側面が大々的に取り上げられ過ぎて、音楽的な部分に関する究明はほとんどされないまま忘却の彼方に消え去りかけている…

…と思ったら、「もしゴーストライターが生身の作曲家でなくAI(人工知能)だったら?」という視点で問題提起を試みた書籍が登場。私も半分当事者として多少内部事情を知る立場に居たので、当時ブログにリアルタイムであれこれ書いたものを再収録する…という形で参加させて貰うことになった。

士郎正宗「攻殻機動隊(Ghost in the Shell)」(1991)の中で、人間やAIの中にある自我や意識をゴーストと呼んでいたが(元のネタはA.ケストラー「機械の中の幽霊(The Ghost in the Machine)」(1967)とのこと)、その延長線上のゴースト・ライターと考えると実に意味深な概念だなと改めて思う。このコロナ禍の時代、音楽が「人から人へ」と感染する媒体ゆえにその存在が危機的な状況となり、ますますネットやAIなどの仮想空間における祭祀になりつつある現代、「音楽は(そして人間は)何処へ行くのか?」という問いかけにも繋がりそうで興味深い。

https://www.aibigeiken.com/store/sn_j.html
http://www.nadiff-online.com/?pid=157316649

2020年7月18日 (土)

地の群れ

ChinomureAmazonのPrimeVideoでひさしぶりに物凄く懐かしい映画を見た。熊井啓監督の「地の群れ」(1970年)。高校生の頃、新聞広告の《音楽:松村禎三》という小さなクレジットを見て(内容も知らずに)映画館に行ったのだが、なんと50年ぶりの再会である。

井上光晴の小説が原作で、戦後の長崎/佐世保が舞台。当時はなんの予備知識もなく見たので、ヒロインの紀比呂子の文字通り「掃き溜めに鶴」的な美しさ以外ほとんど印象に残っていなかったが、原爆の記憶を背景に、炭坑・被爆者・被差別部落・朝鮮人・教会・共産主義者・米軍基地などなどが入り交じる街で起こる錯綜した差別・憎悪・貧乏・強姦・自殺・殺人。今改めて見ると、ネズミの群れが火で焼き殺される原爆を象徴するようなシーンや、老婆が石礫で殺されるシーンなど、結構衝撃的だ。1970年当時もATG系超低予算作品として非商業的に上映されたこの題材、現代では色々な意味で上映は不可能だろうし、どう評していいのか皆目分からない。(ただ、当時は救いようのない暗い題材と思えたが、今見ると意外と女性が強く存在感をもって描かれていることに気付く。男たちはひたすら情けないのだけれど)

ちなみに松村禎三師の音楽(毎日映画コンクール音楽賞受賞)は、背景で地味に鳴っているだけで前面に出て来ることは殆どない。この頃は〈交響曲〉(1965)や〈管弦楽のための前奏曲〉(1968)のように大地の底辺にうごめく生命の群れのような音楽を発表していて、「地の群れ」というまさにぴったりのタイトルを見てそういう響きを期待したのだが、そもそも音楽が聞こえてくるような情景は(唯一「子守唄」のような歌が聞こえる以外は)皆無。原爆を象徴するシーンなどでは不協和音が盛大に鳴り渡っても良さそうに思えるが、響きはどこまでも淡々としている(編成としては打楽器と弦楽数名くらいだろうか)。マリンバの枯れたぽつぽついう音と高音できーんと耳鳴りのように響く弦の音だけが耳に残る不思議な音楽だ。

2019年11月26日 (火)

遠い旅の終点

Cd-sym2 昔(1990年頃)とあるTV番組のバックに流れていた音楽が、ずっと耳に残っていた。ほんの数十秒、それも一回か二回耳にしただけなのだが、低音のドローンに乗ってチェロのような楽器が滔々と歌う、民族音楽とも現代音楽とも付かない不思議な響きと節回しが印象的で、耳にこびりついた。しかし、曲のクレジットもなく、録音したわけでもなく、そもそも番組の音楽として書かれたものなのか、既成の曲を選曲したものなのかも分からず、放送局に問い合わせても分からなかった。もちろんインターネットなどなかった時代で、調べようもなかった。

その後の30年間、まさに「奥歯にモノが挟まった」状態で耳の奥にこびりついたままだったわけだが、その音楽の出所を求めて様々なジャンル(特にモンゴルや中近東あるいはアラブ系アフリカ系の音楽などなど)のレコードや文献をあさり、自分の作品の中にも応用を模索し試みた。交響曲第2番(1991)冒頭のチェロ独奏などはその影響大だ。おかげで、そんなことがなかったら辿り着けなかったような様々な音楽に出会え、新しい視座を持った作品が生まれたわけで、この〈名無しの曲〉は自分の音楽人生の中で結構重要な役割を果たしたことになる。

…という遠い思い出の中にすっかり忘却していた曲の名前が、先日ふとしたきっかけで分かった。テレビで流れていたフィギュアスケート大会のロシア選手のショートプログラムの音楽の中にその曲が「あった」のだ。・・・そこでiPadを開いて「フィギュアスケート」「選手の名前」「ショートプログラム」「音楽」と検索するとアッと言う間に候補曲が数曲並び、そのうちジャンルの明らかに違う曲を外し、残った曲をYouTubeで探すと、そのうちの一曲がビンゴだった。その間わずか2分ほど。30年探しあぐねていたモノがかくも容易く見つかったことに、感動するより軽い脱力感を覚えたほどだ。旅の終わりはいつだって突然来る…それも、思いもかけないような処から…

Pgabriel_passionちなみに、その曲はPeter Gabrielの「Passion」(1989)というアルバムの中の曲で、キリストの受難を描いた映画「最後の誘惑」(1988)のサウンドトラックでもある。印象に残ったチェロのような楽器は、アルメニアのDudukという管楽器だそうで、後半ドラムセクションが登場するところまで聴けば当時はやり出したエスノ系音楽に思い至ったのだが、ユッスー・ンドールとかヌスラト・アリ・ハーンまで辿り着いたものの、ピーター・ガブリエルまでは辿り着けなかった。

しかし、これで積年の心残りが消え、もう思い残すことは…おっと、まだもう少し(笑

2019年11月 7日 (木)

サウンドデザイナー12月号

Pt08 月刊サウンドデザイナー12月号(11月9日発売)@特集「今こそプログレを語ろう」にインタビュー記事掲載。

1970年前後のプログレ黎明期の記憶、「タルカス」との出会い、キース・エマーソン氏と冨田勲氏、クラシックとプログレの関係、クラシック音楽界の「隠れプログレ」ほか。

2019年11月 3日 (日)

1965年のヴェンチャーズ

Ventures66a最近とんと音楽を聴かなくなった。

…のだが、なぜか最近偶然聴き始めて頭の中でヘビーローテーションしているのが、ヴェンチャーズの音楽。それも、中学に上がったばかりの頃、最初に買ったLPレコード(Ventures in JAPAN)1965年新宿厚生年金ホールでのライヴで、何だか、死ぬ前に走馬燈のように蘇る思い出のひとつ…のような感じで鳴りまくっている(笑

Ventures-japan持っているレコードがまだこれ1枚という頃だったので、それこそ擦り切れるまで何百回聴いたか…、ノーキー・エドワーズ(リード・ギター)、メル・テイラー(ドラムス)、ドン・ウィルソン(サイド・ギター)、ボブ・ボーグル(ベース)…とすらすら名前が出て来るのは、繰り返し聴いたせいというより、コンサートの司会者(フィリピン系のビン・コンセプション氏)の怪しい日本語での演奏者紹介のせいかも知れない(笑

今、聴いても、ノーキー・エドワーズのギターの冴えと、メル・テイラーのシンプルながらダイナミックなドラムスは圧倒される。音楽的に高度…とまでは言わないが、完成度の高さは半端でなく、とにかく「カッコいい」としか言いようがなかった。しかし、よく考えてみれば、セールスマンみたいな服装をした男4人が立ったまま(歌も歌わず踊りもせず)インストを弾いているだけで、なぜ何千人の観客が熱狂したのか…(だからこそ「これなら俺にも出来る」とエレキブームが始まったのだろうけれど)つくづく不思議な音楽だと思う。

Ventures-space続いて「ヴェンチャーズ宇宙へ行く(In Space)」(1964)というSF風サウンドに挑戦したアルバムを買い、SF小説やドラマが大好きだった頃(文字通りの中二病最盛期)だったので、これも結構はまった。まだシンセもない時代に一所懸命SFっぽい音を出していて(なので成功率は30%。当たりは冒頭のOut of Limits、Bat、最後のTwilight Zoneくらいだが)密かに「プログレッシヴロック黎明期の傑作アルバム」と思っている。…と紹介して同意を得たことは一度もないが。

このあと聴き始めたウォーカーブラザースやビートルズなどは、はっきり「自分の音楽に影響を与えた音楽」と言い切れるが、ヴェンチャーズは……、良く分からない。サテ、次の走馬燈は何だろう?

2019年10月29日 (火)

映画「ジョーカー」

Joker 話題の映画「ジョーカー」を見に行く。

しかし、始まって30分ほどで見に来たことを後悔する。ほかにもそう思った方は居られたようで、何人かがそそくさと出て行ったが、決して作品の出来が悪いのでも暴力描写が生臭すぎるせいでもない(ちなみに映画自体はR-15指定)。亡霊とか野盗とか宇宙人とかサメが襲って来る非現実的な怖さと違って、この映画に出て来る怖さは…「いじめ」「理不尽な暴力」「貧困」「老親の介護」「配偶者なし、友達なし」「人に言えない持病」「失職」などなどリアルすぎて怖すぎ「笑えない」のだ。現実に「」内の闇を一つでも抱えてる人は、かさぶたを毟られる状態になるので見ない方がいい。しかし「見ない方がいい」と言われると見たくなるのが人の常で、私もその一人なのだが(笑

舞台はバットマンのダークナイトシリーズをさらにダークにした世界だが、それとは関係なく現代版「罪と罰」として物語は成立(スタンドアローン)している。ゴッサムシティの悩めるラスコリニコフが上記の多層的絶望の果てに覚醒し、ピエロの化粧をして「ジョーカー」と名乗り殺人を重ねるようになる。その中で「え?バットマンとジョーカーが兄弟?」と一瞬思わせるような展開もあり、街中がピエロのマスクをした暴徒に覆われジョーカーが悪のヒーローのように屹立するクライマックスに至る…のだが、ラストは「…というジョークを思い付いたよ」という独白で終わり、どこまでが現実で何処までが妄想なのか(さらに、何がオチで何が救いなのか)分からない仕様になっている。

ガラスをひっかく音を身体で表現したかのような主役のホアキン・フェニックスの怪演はすごいが、これを「シャイニング」の頃のジャック・ニコルソンが演じてたらどうなるだろう?と思いながら見ていた。(ついでに、これが「ジョーカー」でなく「ペンギン」だったら?…とも)「イヤなものを見てしまった」という後味の悪さが残る怪作だ。

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