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本CD映画etc

2020年7月18日 (土)

地の群れ

ChinomureAmazonのPrimeVideoでひさしぶりに物凄く懐かしい映画を見た。熊井啓監督の「地の群れ」(1970年)。高校生の頃、新聞広告の《音楽:松村禎三》という小さなクレジットを見て(内容も知らずに)映画館に行ったのだが、なんと50年ぶりの再会である。

井上光晴の小説が原作で、戦後の長崎/佐世保が舞台。当時はなんの予備知識もなく見たので、ヒロインの紀比呂子の文字通り「掃き溜めに鶴」的な美しさ以外ほとんど印象に残っていなかったが、原爆の記憶を背景に、炭坑・被爆者・被差別部落・朝鮮人・教会・共産主義者・米軍基地などなどが入り交じる街で起こる錯綜した差別・憎悪・貧乏・強姦・自殺・殺人。今改めて見ると、ネズミの群れが火で焼き殺される原爆を象徴するようなシーンや、老婆が石礫で殺されるシーンなど、結構衝撃的だ。1970年当時もATG系超低予算作品として非商業的に上映されたこの題材、現代では色々な意味で上映は不可能だろうし、どう評していいのか皆目分からない。(ただ、当時は救いようのない暗い題材と思えたが、今見ると意外と女性が強く存在感をもって描かれていることに気付く。男たちはひたすら情けないのだけれど)

ちなみに松村禎三師の音楽(毎日映画コンクール音楽賞受賞)は、背景で地味に鳴っているだけで前面に出て来ることは殆どない。この頃は〈交響曲〉(1965)や〈管弦楽のための前奏曲〉(1968)のように大地の底辺にうごめく生命の群れのような音楽を発表していて、「地の群れ」というまさにぴったりのタイトルを見てそういう響きを期待したのだが、そもそも音楽が聞こえてくるような情景は(唯一「子守唄」のような歌が聞こえる以外は)皆無。原爆を象徴するシーンなどでは不協和音が盛大に鳴り渡っても良さそうに思えるが、響きはどこまでも淡々としている(編成としては打楽器と弦楽数名くらいだろうか)。マリンバの枯れたぽつぽついう音と高音できーんと耳鳴りのように響く弦の音だけが耳に残る不思議な音楽だ。

2019年11月26日 (火)

遠い旅の終点

Cd-sym2 昔(1990年頃)とあるTV番組のバックに流れていた音楽が、ずっと耳に残っていた。ほんの数十秒、それも一回か二回耳にしただけなのだが、低音のドローンに乗ってチェロのような楽器が滔々と歌う、民族音楽とも現代音楽とも付かない不思議な響きと節回しが印象的で、耳にこびりついた。しかし、曲のクレジットもなく、録音したわけでもなく、そもそも番組の音楽として書かれたものなのか、既成の曲を選曲したものなのかも分からず、放送局に問い合わせても分からなかった。もちろんインターネットなどなかった時代で、調べようもなかった。

その後の30年間、まさに「奥歯にモノが挟まった」状態で耳の奥にこびりついたままだったわけだが、その音楽の出所を求めて様々なジャンル(特にモンゴルや中近東あるいはアラブ系アフリカ系の音楽などなど)のレコードや文献をあさり、自分の作品の中にも応用を模索し試みた。交響曲第2番(1991)冒頭のチェロ独奏などはその影響大だ。おかげで、そんなことがなかったら辿り着けなかったような様々な音楽に出会え、新しい視座を持った作品が生まれたわけで、この〈名無しの曲〉は自分の音楽人生の中で結構重要な役割を果たしたことになる。

…という遠い思い出の中にすっかり忘却していた曲の名前が、先日ふとしたきっかけで分かった。テレビで流れていたフィギュアスケート大会のロシア選手のショートプログラムの音楽の中にその曲が「あった」のだ。・・・そこでiPadを開いて「フィギュアスケート」「選手の名前」「ショートプログラム」「音楽」と検索するとアッと言う間に候補曲が数曲並び、そのうちジャンルの明らかに違う曲を外し、残った曲をYouTubeで探すと、そのうちの一曲がビンゴだった。その間わずか2分ほど。30年探しあぐねていたモノがかくも容易く見つかったことに、感動するより軽い脱力感を覚えたほどだ。旅の終わりはいつだって突然来る…それも、思いもかけないような処から…

Pgabriel_passionちなみに、その曲はPeter Gabrielの「Passion」(1989)というアルバムの中の曲で、キリストの受難を描いた映画「最後の誘惑」(1988)のサウンドトラックでもある。印象に残ったチェロのような楽器は、アルメニアのDudukという管楽器だそうで、後半ドラムセクションが登場するところまで聴けば当時はやり出したエスノ系音楽に思い至ったのだが、ユッスー・ンドールとかヌスラト・アリ・ハーンまで辿り着いたものの、ピーター・ガブリエルまでは辿り着けなかった。

しかし、これで積年の心残りが消え、もう思い残すことは…おっと、まだもう少し(笑

2019年11月 7日 (木)

サウンドデザイナー12月号

Pt08 月刊サウンドデザイナー12月号(11月9日発売)@特集「今こそプログレを語ろう」にインタビュー記事掲載。

1970年前後のプログレ黎明期の記憶、「タルカス」との出会い、キース・エマーソン氏と冨田勲氏、クラシックとプログレの関係、クラシック音楽界の「隠れプログレ」ほか。

2019年11月 3日 (日)

1965年のヴェンチャーズ

Ventures66a最近とんと音楽を聴かなくなった。

…のだが、なぜか最近偶然聴き始めて頭の中でヘビーローテーションしているのが、ヴェンチャーズの音楽。それも、中学に上がったばかりの頃、最初に買ったLPレコード(Ventures in JAPAN)1965年新宿厚生年金ホールでのライヴで、何だか、死ぬ前に走馬燈のように蘇る思い出のひとつ…のような感じで鳴りまくっている(笑

Ventures-japan持っているレコードがまだこれ1枚という頃だったので、それこそ擦り切れるまで何百回聴いたか…、ノーキー・エドワーズ(リード・ギター)、メル・テイラー(ドラムス)、ドン・ウィルソン(サイド・ギター)、ボブ・ボーグル(ベース)…とすらすら名前が出て来るのは、繰り返し聴いたせいというより、コンサートの司会者(フィリピン系のビン・コンセプション氏)の怪しい日本語での演奏者紹介のせいかも知れない(笑

今、聴いても、ノーキー・エドワーズのギターの冴えと、メル・テイラーのシンプルながらダイナミックなドラムスは圧倒される。音楽的に高度…とまでは言わないが、完成度の高さは半端でなく、とにかく「カッコいい」としか言いようがなかった。しかし、よく考えてみれば、セールスマンみたいな服装をした男4人が立ったまま(歌も歌わず踊りもせず)インストを弾いているだけで、なぜ何千人の観客が熱狂したのか…(だからこそ「これなら俺にも出来る」とエレキブームが始まったのだろうけれど)つくづく不思議な音楽だと思う。

Ventures-space続いて「ヴェンチャーズ宇宙へ行く(In Space)」(1964)というSF風サウンドに挑戦したアルバムを買い、SF小説やドラマが大好きだった頃(文字通りの中二病最盛期)だったので、これも結構はまった。まだシンセもない時代に一所懸命SFっぽい音を出していて(なので成功率は30%。当たりは冒頭のOut of Limits、Bat、最後のTwilight Zoneくらいだが)密かに「プログレッシヴロック黎明期の傑作アルバム」と思っている。…と紹介して同意を得たことは一度もないが。

このあと聴き始めたウォーカーブラザースやビートルズなどは、はっきり「自分の音楽に影響を与えた音楽」と言い切れるが、ヴェンチャーズは……、良く分からない。サテ、次の走馬燈は何だろう?

2019年10月29日 (火)

映画「ジョーカー」

Joker 話題の映画「ジョーカー」を見に行く。

しかし、始まって30分ほどで見に来たことを後悔する。ほかにもそう思った方は居られたようで、何人かがそそくさと出て行ったが、決して作品の出来が悪いのでも暴力描写が生臭すぎるせいでもない(ちなみに映画自体はR-15指定)。亡霊とか野盗とか宇宙人とかサメが襲って来る非現実的な怖さと違って、この映画に出て来る怖さは…「いじめ」「理不尽な暴力」「貧困」「老親の介護」「配偶者なし、友達なし」「人に言えない持病」「失職」などなどリアルすぎて怖すぎ「笑えない」のだ。現実に「」内の闇を一つでも抱えてる人は、かさぶたを毟られる状態になるので見ない方がいい。しかし「見ない方がいい」と言われると見たくなるのが人の常で、私もその一人なのだが(笑

舞台はバットマンのダークナイトシリーズをさらにダークにした世界だが、それとは関係なく現代版「罪と罰」として物語は成立(スタンドアローン)している。ゴッサムシティの悩めるラスコリニコフが上記の多層的絶望の果てに覚醒し、ピエロの化粧をして「ジョーカー」と名乗り殺人を重ねるようになる。その中で「え?バットマンとジョーカーが兄弟?」と一瞬思わせるような展開もあり、街中がピエロのマスクをした暴徒に覆われジョーカーが悪のヒーローのように屹立するクライマックスに至る…のだが、ラストは「…というジョークを思い付いたよ」という独白で終わり、どこまでが現実で何処までが妄想なのか(さらに、何がオチで何が救いなのか)分からない仕様になっている。

ガラスをひっかく音を身体で表現したかのような主役のホアキン・フェニックスの怪演はすごいが、これを「シャイニング」の頃のジャック・ニコルソンが演じてたらどうなるだろう?と思いながら見ていた。(ついでに、これが「ジョーカー」でなく「ペンギン」だったら?…とも)「イヤなものを見てしまった」という後味の悪さが残る怪作だ。

2019年7月24日 (水)

運命&サイバーバード

190724cd

2019年7月18日 (木)

遊楽図の系譜

Suntorym 遊びをせんとや生まれけむ…という宣伝コピー冒頭の文言に惹かれて、サントリー美術館の「遊びの流儀〜遊楽図の系譜」展を見に行く。

平安時代(源氏物語絵巻)から江戸時代まで、貴族や庶民が遊び(ゲーム/踊りなど)に興じている図/屏風絵を中心に、遊具(かるた/双六など)も展示したなかなか興味深い内容だ。

Sugoroku 最初の部屋に入ってすぐが、←清盛と後白河法皇も興じていた双六。現在では「双六(すごろく)」というと絵が描いてあって最終的な「あがり」に向かって駒を進めてゆく「絵双六」だが、この頃のモノは…サイコロを振って駒を進めてゆく…というのは同じでも、どちらかと言うと将棋や碁に近い頭脳戦の趣きがある。

それにしても、歌っていたり踊っていたりする人が描かれている絵を見るたびに、画面に登場する「楽器」が気になって仕方がない。弦の数・演奏する指の形・駒やバチの形状などなど、ガラスケースに顔を押し付けて息で曇らせながら凝視し、横で並んで見ている女性に不審がられること数回(笑。

Dance 平安時代は箏・琵琶・笛・鼓…が主流の少人数で聴く室内楽だが、江戸時代になると三味線が登場し太鼓も加わり屋外で大勢のダンスになってゆくのも面白い。バーで聴くジャズがスタジアムで聴くロックになったような変化だったのだろうか。しかし、肝心の音は残念ながら屏風絵からは聞こえてこない。「どんな音だったのだろう?」と一枚一枚の絵を見ながら…妄想の翼はぱたぱたと虚しく美術館の壁を飛び回る。

2019年7月 3日 (水)

新装版「図解クラシック入門」三部作

3booksむかし(2004年)書いた〈図解クラシック入門・三部作〉台湾版の新装版が届く。

古典音楽/真的好簡単講堂(図解クラシック音楽大事典)・古典音楽/有笑有涙知識講座(楽勝クラシック音楽講座)・古典音楽/一点就通名曲GUIDE(空耳クラシック名曲ガイド)の3冊で、初版は2007年。当然、中味は中国語。外装はシックになったが中味は同じ(笑

ちなみに日本では三冊合本編纂した新装改訂版「図解クラシック音楽大事典」(学研)として発売中。

2019年6月13日 (木)

海と光と空と

Kaiju 映画「海獣の子供」を見る。

五十嵐大介氏原作の全5巻は(もともと初期の「はなしっぱなし」や「そらトびタマシイ」の頃からファンだったので)読んでいたが、その精緻な絵柄をそのままフルカラーで再現した上それが「動く」のだからたまらない。魚の群れの動き、雨や嵐の空気感、圧倒的な質量を持つ巨鯨の存在感、その波しぶき、波打ち際の水面や光の描写…全てのシーンが一幅の絵画のような完成度で、コンピュータによる3DCGの技術を知らなかったら「一体、どうやって描いたのか?」と畏怖感を覚えたに違いない。(そう言えば、80年近く前の「ピノキオ」(1940!)でも巨大クジラが緻密な波しぶきを上げていたことを思い出した。あれはもちろん手作業の職人技だったけれど…)

物語は、主人公の少女(琉花)が、ジュゴンに育てられたという二人の少年(海と空。これが海獣の子供)と出会い、海の中で繰り広げられる不思議な出来事に遭遇するひと夏の話。隕石を精子とし海を子宮とする生命誕生の儀式のようなものが後半に展開し、「2001年宇宙の旅」を思わせる謎めいた色彩と光の洪水が押し寄せる。それについて脇役たちが所々で哲学的・科学的な解説をしてくれるのだが、いまいち分かりにくい…というより観念的に過ぎるので、むしろ(氏の「はなしっぱなし」の中の物語のように)そのまま神話や伝説あるいは奇譚の類として「何だか分からないがそういうことです。不思議ですね」で済ませてしまっていいと思う。「2001年」も最初はナレーションで解説を付けていたのを最終的に取ってしまったのだそうだが、これも映像(と音楽)だけで全てを語らせて充分世界観は伝わる。そういう作品のような気がする。

2019年6月 6日 (木)

怪獣王ゴジラの凱旋

Gidzillaゴジラ映画の最新作「ゴジラ〜キング・オブ・モンスターズ」を見る。

ゴジラ・モスラ・ラドン・キングギドラという懐かしの怪獣たちが勢揃いする…と聞いて抗える第一次怪獣世代はいない(笑)。前作(ゴジラ:2014)以来のハリウッド版ゴジラの造形はいまいち好きになれないが、知らない怪獣(ムートー)が主役の前作よりはるかにゴジラ愛を感じる。とにかく豪勢なCGで巨大さを強調された4大怪獣が大画面でどったんばったん暴れ回るだけで感涙モノだし、ゴジラのテーマ・モスラの歌もあちこちで聞こえるうえ、オキシゲンデストロイアや芹沢博士の自己犠牲まで完備されているのだからたまらない。

ただし、問題は人間ドラマの部分で、登場人物たちの価値観はマッドサイエンティスト側もテロリスト側も…何かというと子供のこと家族のことで情緒不安定になる科学者夫婦も…常に苦虫噛みつぶした顔で怪獣との共生にこだわる芹沢博士も…純真自由な子供視点のはずの少女の側も…まったく共感できなくて、見ながら頭を抱えてしまう部分が何度か。ゴジラとタメ口の芹沢博士はともかく、アイコンタクトする主人公とか、それに応えるゴジラとか???。いや、それでも巨大な怪獣たちの体張っての大バトルで全て許せてしまうのだけれど。おかげで「巨大なわけの分からないモノが歩いてくる恐怖」に絞った第一作「ゴジラ」と「シン・ゴジラ」の見事さを再確認する。

ちなみに、最後に怪獣を倒したあと歓声を上げハイタッチをするシーンがなかったのは救いだった。「ゴジラ」も「シン・ゴジラ」も倒した後は虚脱感とも追悼とも付かない敬虔な雰囲気だったことを思い出す。アメリカ風と日本風の違いと言えば言えるが、いくらなんでも原爆を落としたB29の上で歓声は上げないだろう。勝つか負けるかの戦いを繰り広げた相手に対する敬意の問題か。(ちなみに、ゴジラに対する敬意はラストシーンで「え?」という感じで現れる。なるほど、このタイトルはそういう意味だったか…と納得するも、映画館の横の席から「バーフバリかよ!」というツッコミも…)

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