お知らせ@CD2題
■館野泉「風に…波に…鳥に…」@OVCT-00206
・アイノラ抒情曲集より(ロマンス/モーツァルティーノ/バラード)・タピオラ幻景より(水のパヴァーヌ)・シェルブールの雨傘(3手連弾版/藤田真央)・カッチーニのアヴェマリア…収録。
■アルノ・ボーンカンプ「バリトンの狂気〜バリトンサクソフォンのための作品集」@GEN 23822
・エクローグ・モノローグ(メタルスネイル組曲より・Br-Sax版)…収録。
■館野泉「風に…波に…鳥に…」@OVCT-00206
・アイノラ抒情曲集より(ロマンス/モーツァルティーノ/バラード)・タピオラ幻景より(水のパヴァーヌ)・シェルブールの雨傘(3手連弾版/藤田真央)・カッチーニのアヴェマリア…収録。
■アルノ・ボーンカンプ「バリトンの狂気〜バリトンサクソフォンのための作品集」@GEN 23822
・エクローグ・モノローグ(メタルスネイル組曲より・Br-Sax版)…収録。
「マーマレード回路」が収録されたCD「音の始原を求めて-10」大石満 鈴木浩一の仕事@NEW WAVE(*)届く。
40年前(1984年!)NHKの電子音楽スタジオで計8名ほどの制作スタッフと一緒に丸一年間の超アナログ作業で作り上げながらあまり気に入った出来ではなく作品番号も付けず作品リストにも載せていなかった全5パート16分ほどのテープ音楽…なのだが、今回、当時制作された作曲家諸氏(近藤譲・助川敏弥・坪能克裕)の作品と一緒に掘り起こされ復活CD化されることになった。
タイトルの「マーマレイド回路」というのは「オレンジ(生音)を入力すると、マーマレイド(加工された音響)が出力される」という架空の音響回路。要するに電子音楽スタジオを、そういうSF(少し不思議)な音を作る「回路」に見立てた作品で、元々はシュトックハウゼンの名作「少年の歌」(1956)に対して「少女の歌」というパロディ的なアイデアから生まれたもの。音の素材は女の子の声と鈴とピアノで、最初は「人工子宮管の中の娘によせる発声法のエチュード」あるいは「電動式アリス」と呼んでいた。
制作当時は既にデジタル黎明期(CD登場が1982年)だったが、基本はすべてが指先頼りのアナログ作業。ずらっと並ぶテレコ(当時はすべてオープンリールのテープレコーダー。10台ほどあったろうか)で「ぴ」「ぽ」「ぱ」「ぷるん」などという子供の声を録音したテープを切り貼りしてループにし「あぶくの対位法」を試みたり(今だったらヴォーカロイドのアプリで簡単に作れそうだが、当時は半年かかった)、テープ音楽なのに音の並びは自然倍音やモード(旋法)にこだわったり、あぶくだけで「ケチャ」を踊らせたり…とかなりヘンなノリ(「実験」と言うより完全に「遊び」)で作っていた記憶がある。
ちなみに、80年代当時のロリコン・オタク文化と微妙にリンクしている(ような気がする(笑。
◎CD LEO〈GRID//OFF〉
・・・すばるの七ツ 収録
映画「チロンヌプカムイ/イオマンテ」鑑賞。監督:北村皆雄。@ポレポレ東中野。
1986年に行われた75年ぶりのアイヌの祭祀イオマンテ(霊送り)を記録した映画。通常「イオマンテ」はクマ(キムンカムイ)の魂を天界(カムイモシリ)に送る儀式だが、これはキタキツネ(チロンヌプ)で行われた儀式の貴重な記録。
アイヌの古老・日川善次郎エカシを中心に、打合せや前夜祭から本祭・そこに至る様々な儀式や各地のアイヌによる歌や踊り・それを見るキタキツネの眼差し・古老による儀礼のことば(全て克明に記録され和訳されている)。誰かに見せるためではなく、純粋に神(カムイ)に向けて行われる厳粛な…そしてもはや再現不可能な古の祭祀。バレエ〈春の祭典〉を思い起こさせる不思議な世界が広がる。
何も知らずに外面だけ見ると「子供の頃から可愛がって育てた動物を寄ってたかって嬲り殺す儀式…」なのだが、アイヌ独特の世界観・自然観に基づいた(神への畏敬と自然への愛を込めた)行為を諄々と描いてゆく映像を見ていると、「魂を天界に送る」ということが静かに胸に染み始める。現代でも「飼っていたペットは死んだあと虹の橋を渡って、そこで飼い主との再会を待っている」という神話があるが(私もしっかり信じている)それに通じるものを感じる。
撮影後35年間埋もれていたという地味な映画だが、最近アイヌを主題にしたコミックス「ゴールデンカムイ(作:野田サトル)」で話題になったせいか(全314話・単行本で31冊!という大長編。先日ようやく完結し、私もそれを期に全話完読した)、アイヌ文化に興味を持ち始める若い人が増えているようで嬉しい。
私も個人的にデビュー時から…「チカプ(鳥)」「カムイチカプ(神の鳥)交響曲」「リムセ(踊り)」など…アイヌ文化に因んだ作品を幾つか書いてきたが、元々は「朱鷺」と並ぶ希少種である「シマフクロウ」に興味を持ったのがきっかけ。シベリウス師の地である北欧フィンランドと同じ北の大地と森と湖の香りがすることと、もうひとりの師匠(松村禎三師)の師匠である伊福部昭氏(釧路生まれで幼少時に音更町でアイヌ文化に深く接し、後に〈タプカーラ交響曲〉などを書いている)の間接的な影響もあるのかも知れない。
いくつかの曲の中で「ホホホホホーイ」と歌うように叫ぶ不思議なモチーフを使っているのだが、これはイオマンテなどで霊を送るときの合図・掛け声のようなもの(オココクセというらしい)。むかし記録映画を見て印象に残ったので引用したのだが、この映画でも(儀式のクライマックスなどで)何度か確認できたのが収獲だった。
最近ひきこもり孤食しながらPrimeVideoの配信で見ているのが「孤独のグルメ」という番組。
中年男性が仕事の合間にあちこちの街で独り食事をするというだけの30/40分枠のセミドキュメンタリードラマ…なのだが、登場するお店はいわゆる有名店や高級店ではなく商店街などにある普通の庶民的な食べ物屋。和食・中華・各種民族料理からカフェ・スイーツまで好き嫌いなく「お腹が空いた」と行き当たりばったりに店に入ってメニューを隅から隅まで眺め色々と料理を頼んでは「うん、これはいい」とか「やはり米の飯に合う」とか(心の声で)呟きながら独りで次から次へとひたすら食べる。
それだけ……のドラマなのだが、知らない街で知らない店に入り知らない料理を注文する(しかも独りで!)というのは、普通の人にとっては結構ハードルが高い行為。なので、意外とギャンブル性やゲーム性もありグルメ(食通)ドラマとして成立しているような気がする。(実際、2012年に始まって以来今期でシーズン9を迎える長寿人気番組でもある)
主役の松重豊氏の(強面なのにとぼけた味わいの)シャイで寡黙な健啖家ぶりが絶妙だが、原作者の率いるScreenTonesというバンド?のオモチャ箱っぽい音楽も面白い。中でも主人公が「腹が減った」と決めのポーズを取るときのとぼけた「3音」↑が出色。
・追記・9日夜から始まった第9シーズンだが、登場人物がみんなマスクをしていることに(改めて)ショックを受ける。こんなご時世(特に飲食店関係)で仕方ないとは言え・・・ショック(泣
2016年3月にキース・エマーソンが亡くなってから早くも5年が経つ。その年の5月にロサンジェルスで行われた追悼コンサートについてはYouTubeなどで断片的に見聞きしていたが、この度その全貌が The Official Keith Emerson Tribute Concert《Fanfare for the Uncommon Man》としてDVD化された。
晩年共にバンドを組んでいたマーク・ボニーラ(vo,G)ほかのメンバーを中心に、多くのミュージシャンが結集して「庶民のファンファーレ」「タルカス」「未開人」「ナットロッカー」「悪の教典」「タッチ&ゴー」などなどEL&Pの名作を網羅し、最後に「Are You Ready, Eddy?」で締めくくるというなかなか豪華で洒落たコンサートだ。
アルバムタイトルは「庶民のファンファーレ」にちなんで《Uncommon Man(非凡なる男)のためのファンファーレ》だが、ジャケットは「タルカス」!(ヘビーメタルみたいなドスの利いたイラストが凄い)。コンサート後半には全曲が5人編成で演奏されていてなかなか聴き応えがある。
初登場した50年前は超絶難曲だったが、私がオーケストラ版を試みたように、若い世代のミュージシャンたちが「古典(クラシック)」として普通に演奏しているのが感慨深い。
コンサートに当の本人が居ないというのはなんとも悲しいが、こうして新しい演奏で(クラシック音楽のように)後世に伝えられて行くのもある意味では歴史の趨勢なのかも知れない。(ただ、彼の演奏のあの熱気と衝撃は再現しようにも出来ないだろうけれど)
それにしても、もう5年…。亡くなる3年前(2013年)私の還暦コンサートに来てくれて、一緒にオーケストラ版「タルカス」を聴き、そのあと満員の聴衆の熱狂的な拍手を受けて二人でステージに上がったことが夢のようだ。
大きな仕事がいきなり消えてヒマになったので、昔懐かしの黒澤映画4本「七人の侍」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」をぶっ通しで見る。
黒澤映画は、欧米では古典として映画学校などで普通にビデオ鑑賞できていたのに、当の日本では(版権のせいか)長らく販売されていなかった。私も若い頃、友人が手に入れた海外版のVHSテープ(英語字幕付)を超貴重品として見せて貰った記憶があるが(ちなみに海賊版ではない。念のため)、日本で普通に全作品を見られるようになったのは1990年代くらいからだろうか。以後はVHS・LD・DVDと全集を買い漁り、最新版はiTunesのムービー。いつでも何処でも何度でも見られるのだから凄い時代になったものだ。
個人的に好きなのは、50/60年代の三船敏郎が主役の時代もの。白黒だし画質は荒いが「娯楽」に徹した(とにかく見ていて笑いが絶えない)究極の映画を堪能できる。それに昔の日本人の泥臭くも精悍な顔つきや風景や服装の汚れっぷりもいい。ただ、日本的な時代劇とはかなり違って、世界観は大らかで大陸的だし、三船敏郎演じる武士も禁欲的な「武士道」というよりは「遊びをせんとや生まれけむ」的な自由人(しかも差別主義ゼロのフェミニスト)。金にも女にも名誉にも武道にも興味を示さない彼の行動原理は良く分からないが、そんなことを遥かに超越して格好良くかつ面白い。
音楽としては、「七人の侍」での早坂文雄の仕事が有名だが、「隠し砦の三悪人」と「用心棒」での佐藤勝の色彩的でコミカルな音楽センスもかなり秀逸だ。時代劇なのにテーマはメジャーコードが鳴り響くビッグバンドジャズだったり、細かい断片的なフレーズで俳優の動きのコミカルさを強調したり、チェンバロとチャンチキというとんでもない組み合わせで遊女達の踊りを彩ったり。(そう言えば、昔NYで上演する和製ミュージカルの音楽を頼まれた時、「用心棒の音楽みたいなのを」と言われたことがある)。このセンスは監督の指示だったのかあるいは佐藤氏の考案だったのだろうか。その派手さ大仰さは長身肉食で有名な黒澤監督ならではで、お茶漬けと菜食のつつましい生活からは生まれ得ないようなダイナミズムに溢れている。
もうひとつ興味深いのは脚本で、黒澤監督ひとりで唯我独尊的に仕上げるのではなく、橋本忍や菊島隆三といった仲間達とアイデアを出しあい侃々諤々の議論の末に(いわゆるブレインストーミング的なやり方で)仕上げる共作だったのだそう。絶対逃げられない状況…というのを誰かが思い付き、そこから逃げ出す方法をみんなで考える…というような(ある意味で社会主義的な)共作の形というのは、ベートーヴェン的な個人芸術の形ではなくどこかロックバンド的な(こういうやり方で交響曲が書けないものかと思ったこともある)作り方で、ある意味で理想的な新しい形のような気がしないでもない。
それにしても、4作続けて見てしみじみ感じるのは、三船敏郎という人の凄さ。精悍で凜々しいだけでなく汚れ役もおどけた役も出来、無敵の剣豪として殺気を帯びた眼光を放ちながら子供や女性を相手におどけて笑わせる無害さと人懐っこさも出せる(並び立てるのは勝新太郎くらいだろうか)。黒澤・三船の両者が出会ったということ自体が(ジョンレノンとポールマッカートニーが出会ったような)二十世紀の奇蹟だったのかも知れない。人生や歴史や世界を左右するのは、才能や努力や運より「出会い」だ。改めてそう思う。
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